惜しいように思われる。もっと多くの人を欣《よろこ》ばせ、もっと多くの人を楽しませたらどんなにいいだろうと思うが、人間の器量は別で、これ以上伸びなければ仕方がない。
そこへゆくと久兵衛はまったく違い、性|濶達《かったつ》であり、その明快な性格にひとはおのずから惚《ほ》れ込んで、彼の店にお百度《ひゃくど》を踏みつつあるのが現状だ。寿司屋久兵衛の魅力は大したものである。寿司の魅力すなわち人間の魅力である。
しかし、ここでわれわれが考えさせられることは、新富《しんとみ》支店みっちゃんの場合、遠慮のかたまりのごとく細々としながら、どぎった寿司を作るということ、ここがおもしろいところである。久兵衛のごとき堂々たる人間が必ずしもどぎった寿司を作らないという点を、われわれは訝《いぶか》しく考えるのである。か細く見える人間が、ふてぶてしい作品をなし、たくましい久兵衛のごときが細々としたみっちゃんに及ばないという一点があることは、ひっきょう彼ら両人を作った教育環境が大きく影響しているものと考えてよいであろう。
しかし、かくのごとき酒の飲める寿司ができたのは戦後である。戦前は茶で寿司を食っていた。なに
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