や》の食べるものだから。
 寿司に生姜《しょうが》をつけて食うのは必須《ひっす》条件であるが、なかなかむずかしい。生姜の味付けに甘酢《あまず》に浸《ひた》す家もあるが、江戸前としての苦労が足りない。さてこんなことをつぶさに心得てる寿司屋はなかなかあるものではない。ただし先に挙げてみた三、四軒の中にはある。しかし、これにもまたいろいろ長短があり一概《いちがい》にはいえぬが、実はこれを見破《みや》ぶるほどの食通《しょくつう》もいないので、商売|繁昌《はんじょう》、客にも判《わか》る人はきわめて少ない。
 寿司通《すしつう》と自称他称する連中もたいていはいい加減な半可通《はんかつう》で、それならこそまた寿司屋も息をつけるというものである。
 寿司は結局寿司屋が作ってるか、客が作ってるかということになる。見ているといい客はいい寿司屋に行き、わるい客はわるい店に行く。寿司屋と客とは五分五分の勝負で、各店それぞれそれらしいのが来ている。
 近年は寿司屋も進歩して、久兵衛《きゅうべえ》のごとき、人のうわさでは、鮎川義介翁《あゆかわよしすけおう》が後援して近代感覚の素晴らしい店構えを作っている。それが
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