も、むしろ事業的に成功した寿司屋であったように思われる。そこで育ったのが久兵衛で、彼に名人芸があるとすれば、これは生得《しょうとく》で主人から教えてもらったものではあるまい。それで魚肉を薄く切る陋習《ろうしゅう》が今に残っているものと思う。
 およそ先入観とは恐ろしいもので、誰であっても、一度身についた先入観は容易に改められないものである。ある時寿司台の前に座す客が、彼に「もう少し厚く切ってくれ」と希望をいった。彼は「寿司ですからね」といい切った光景を私は隣席で見たが、遂に彼は改めなかった。まぐろというものはむやみに厚切りするものではないという彼の信念が表われていておもしろい。
 そこへゆくと新富支店は、本店の主人に従っていたためかいささか、この方にイナセな名人|肌《はだ》というものを受け継いでいる。まぐろの切り方が第一それである。
 戦後のこと、魚河岸《うおがし》にまぐろが二本か三本しか来なかったといって、普通の店舗に入らなかった場合にも、この店には堂々たるまぐろが備えてあった。他の寿司屋《すしや》ではそうはいかない。久兵衛《きゅうべえ》もまぐろとなると平均してみっちゃんには及ばない
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