ろでなくては出勤しない。茶を入れるくらいの手伝いで、おやじを助けるところが関の山である。
 しかし、一利一害あって、それなるが故《ゆえ》にまったく一人芸の表われがあり、個性的な点からいえば申し分ないが、手が回らぬという恨みが伴い、その結果、大切な飯《めし》の出来がいつも不完全で、わたしは何度注意したか分からないが、今もってその弊《へい》は続いている。命取りだ。
 次が西銀座にすばらしい店舗を持つ「久兵衛《きゅうべえ》」である。この店の主人は珍しく人物ができていて、寿司屋《すしや》にしておくのには惜しいくらいの男である。幼少から寿司屋として育って来たため、それなりの寿司屋になっているが、もし大学でも出ていれば現在は少なくとも局長、次官はおろか大臣級になっていたかも知れない。ともかく、苦労を積んだ、頭のよいできた人物といえよう。その気骨稜々《きこつりょうりょう》意気軒昂《いきけんこう》たる気構えは、今様《いまよう》一心太助《いっしんたすけ》といってよい。こちらがヘナチョコでは、おくれをとって寿司はまずいかも知れない。そんな男であるから、気むずかし屋で鳴っている鮎川義介翁《あゆかわよしすけお
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