カツの寿司など、創意創作がむやみやたらと現われ、江戸前《えどまえ》を誇った勇《いさ》み肌《はだ》の寿司屋など跡を絶たねばならなくなるだろう。サンドイッチの寿司だって本当に現われないとはかぎるまい。飯とパンと同時に賞味できるからだ。戦後十年くらいまでは、京橋、日本橋あたりの目抜《めぬ》きの場所といえば、相当やかましい寿司屋もあり、やかましい食い手もあった。その当時、新橋駅付近に、千成《せんなり》と名乗る嵯峨野《さがの》の料理職人が、度胸《どきょう》よく寿司屋稼業を始め、大衆を相手にして、いつの間にか職人十数人を威勢よく顎《あご》で使って、三流寿司を握り出した。千成はデパートに真似《まね》て寿司食堂を造り、数多くのテーブルを用意し、一人前何ほどと定価のつく皿盛《さらもり》寿司を売り出した。この手は安直《あんちょく》本位なので、世間にパッと拡《ひろ》がってしまった。そして遂には、東京中に寿司食堂が氾濫《はんらん》してしまった。江戸前寿司の誇りを失ったのはこの時からである。
さて、寿司らしい寿司にはどんな特色があるだろう。寿司らしい寿司というからには、もちろん一流の寿司であって、気の毒ながら大衆の口にはいる寿司ではない。今でも一皿、握りが七ツ八ツ盛られて、五十円とか八十円とかの立看板《たてかんばん》もあるが、これから話そうとする寿司は、そんないかさま[#「いかさま」に傍点]ものを指していうのではない。ただの一個が五十円以上百円の握《にぎ》りを指すのである。しかし、いかさまものの多いなかに、良心的な本物もなにほどかあって、わたしなどは盛夏《せいか》の食べ物に困りきっている時など、大いにそれで助けられ、大船《おおふな》から暑さを意とせず、毎日のように新橋へと足をのばしたものである。一流のまぐろというものは、最高の神戸肉や最上のうなぎを何倍か上回るほど値段の高いものであるが、食べてみれば、それだけの価値をもっていることは、ひと等しく認めるところの事実なのだから、どうにも仕方がない。わたしなど、健康への投資と考えて、夏中一流のまぐろで暮らすことになる。ところで、その一流のまぐろを常に備えて、味覚の確かな客を待ちかまえている寿司屋《すしや》というのははなはだ少ない。上物《じょうもの》寿司屋を発見することは、お客にとってまた苦労のタネである。
寿司の上等もやはり材料が問題である。
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