後《うご》の筍《たけのこ》どころのさわぎではない。しかし、われわれがいう寿司らしい寿司を作る店は、そうたやすく見当たるものではなかった。われわれとて、軒並食って歩いたわけではないが、通りがかりに横目《よこめ》で見て、上・中・下どんな寿司を売る店か分るのである。もちろん、こうなるまでには、大分《だいぶ》寿司代を払《はら》っている。心ある者は贅沢屋《ぜいたくや》の評判ある有名店に飛び込んで経験するほかに近道はなかろう。かといって、二十歳や三十歳くらいの青年期では、酢加減がどうの、まぐろの本場物《ほんばもの》、場違い物などとみてとれるはずがない。善《よ》かれ悪《あ》しかれ、なんでもかでもうまく食える。大方《おおかた》の青年層はふんだんに食えれば、それで大満足というわけだから、寿司屋《すしや》の甲乙丙《こうおつへい》はまず分るまい。寿司談義は小遣銭《こづかいせん》が快調にまわるようになり、年も四十の坂を越え、ようやく口が贅《おご》って来てからのことになる。
 飯《めし》を少なく握《にぎ》れの、わさびを利《き》かせの、トロと中トロの中間がよいのというようになって来るのはこの頃からで、その連中は昔だと、茶の熱いうまいやつをよろこんで寿司を味わったものだ。だが、今日このごろの者は、いきなりビールだ酒だと寿司を酒の肴《さかな》に楽しんでいる。寿司食いのアプレである。戦後、寿司が立ち食いから椅子《いす》にかけて食うようになったせいである。この傾向もなかなか勢力があって、上等の寿司屋はおのずから腹の張らない小形寿司を作って、飲ませるように技《わざ》を進め、遂《つい》に一人前の料理屋になったからだ。今一つの新傾向は、女の立ち食い、腰掛《こしかけ》食いが驚くほど増えて来て、男と同じように「わたしはトロがいい」「いや赤貝《あかがい》だ」「うにだ」と生意気《なまいき》をやって、噴飯《ふんぱん》させられることしばしばという次第だ。寿司においては、いちはやく男女同権の世界に歩《ほ》を進めたようだ。
 島田髷《しまだまげ》の時代には売物にならなかった御面相《ごめんそう》が、口紅《くちべに》、爪紅《つまべに》、ハイヒールで堂々と寿司通仲間に侵入し、羽振《はぶ》りを利かす時代になってしまった。昔ならほとんど見られなかった風景である。この調子では今にトマトの寿司、コンビーフの寿司、サンドイッチの寿司、トン
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