ろでなくては出勤しない。茶を入れるくらいの手伝いで、おやじを助けるところが関の山である。
 しかし、一利一害あって、それなるが故《ゆえ》にまったく一人芸の表われがあり、個性的な点からいえば申し分ないが、手が回らぬという恨みが伴い、その結果、大切な飯《めし》の出来がいつも不完全で、わたしは何度注意したか分からないが、今もってその弊《へい》は続いている。命取りだ。
 次が西銀座にすばらしい店舗を持つ「久兵衛《きゅうべえ》」である。この店の主人は珍しく人物ができていて、寿司屋《すしや》にしておくのには惜しいくらいの男である。幼少から寿司屋として育って来たため、それなりの寿司屋になっているが、もし大学でも出ていれば現在は少なくとも局長、次官はおろか大臣級になっていたかも知れない。ともかく、苦労を積んだ、頭のよいできた人物といえよう。その気骨稜々《きこつりょうりょう》意気軒昂《いきけんこう》たる気構えは、今様《いまよう》一心太助《いっしんたすけ》といってよい。こちらがヘナチョコでは、おくれをとって寿司はまずいかも知れない。そんな男であるから、気むずかし屋で鳴っている鮎川義介翁《あゆかわよしすけおう》に早くから認められ、戦時中ことに戦後は鮎川翁のひいき大《だい》なるものがあったようである。
 寿司屋としての店頭は、古臭い寿司屋形式を排し、一躍近代感覚に富むところの新建築をもって唖然《あぜん》たらしめるものがあり、高級寿司屋を説明して余りあるものがある。しかし表構えはただ「久兵衛」と書いてあるのみ、寿司屋ともなんとも表現していない。なに知らぬ者にはちょっと飛び込みにくい様相《ようそう》を呈《てい》し、遅疑逡巡《ちぎしゅんじゅん》、終《つい》には素通りする者も少なくなかろう。それがため、店内に居並ぶ客種《きゃくだね》は普通の寿司屋にみるように、A級、B級、C級と混合していないのが特色である。
 A級にあらずんばB級といった具合で、夜となく昼となく、すさまじい勢いで繁盛《はんじょう》この上もない。おそらく東京にある寿司屋をしらみつぶしに調べても、昼夜これほど一流人が店内に充満している店は「久兵衛」をおいてほかにはないであろう。これは寿司そのもののうまいこともさることながら、久兵衛の人間的魅力にひかれて来るんだとみて間違いない。頭がよく厭味《いやみ》のない久兵衛のひとそのものに惚《ほ》
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