ともいえる。
 店つきの風格、諸道具、材料および原料、衛生設備、その他職人、女中にしても一流好みを狙《ねら》い、すべてが金のかかった業態《ぎょうたい》をして、さあいかがと待ちかまえているかいないかがうまい寿司、まずい寿司、安い寿司、高い寿司のわかれ目である。
 ところで、かような高級|道楽《どうらく》食いの店を、新橋|界隈《かいわい》に求めていったい何軒あるだろうか。もちろん立ち食いそのままの体《てい》でよくできている店というならば、何軒でもあるにはあるが、実際には“羊頭《ようとう》を掲げて狗肉《くにく》を売る”たぐいが大部分である。殊《こと》に近ごろ流行の、硝子《がらす》囲いに材料を山と盛り、お客さんいらっしゃいと待ちかまえているような大多数の店は、A級寿司屋とはいい難《がた》い。
 さしずめ新橋あたりを例に、私の趣味に合格する店は二、三軒であろう。その一軒に近ごろ立ち上がった「新富《しんとみ》本店」および終戦後ただちに店開きした「新富支店」がある。この本店はその昔、意気軒昂《いきけんこう》で名を成した名人寿司として有名なものであったが、キリンも老いてはの例にもれず、ついに充分の生気《せいき》は消え去ってしまった。
 それからみると、支店の主人みっちゃんは年齢四十の働き盛り、相当の腕を持っているところから、ようやく認められつつある。本店の方は前述のごとく昔日《せきじつ》の俤《おもかげ》はないが、支店特異の腕前は現在新橋|辺《あたり》の寿司屋としては、まず第一に指を屈すべきで、本店の衣鉢《いはつ》は継がれたわけである。しかし、支店みっちゃんの方はうまいにはうまいが、旧式立食形なる軒先《のきさき》の小店で狭小《きょうしょう》であり、粗末《そまつ》であり紳士向きではない。ただ口福《こうふく》の欣《よろこ》びを感ずるのみである。
 しかし、本店のおやじがジャズ調であるのに反し、支店は地唄《じうた》調というところで、いとも静かな一見養子風の歯がゆいまでにおとなしい男。毎朝|魚河岸《うおがし》に出かけ、帰るやただちに仕込みにかかる。飯《めし》が炊《た》けて客を迎えるまでには相当時間を要し、正午に間に合うことはきわめて稀《まれ》で、二時ごろ表をあけるのが日常となっている。一人の小僧も小女《こおんな》もいない一人きりの仕事だからである。妻女はあっても子供の世話かなにかで二、三時ご
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