っとひどい話があった。なんでも大正八、九年の好況時代のことだ。日本橋手前のある横丁に、大あゆで売り出した春日《かすが》という割烹《かっぽう》店があった。これは多分に政策的な考えからやっていたことであるらしい。ところが、このあゆが非常に評判になった。一時は春日のあゆを食わなければ、あゆを語るに足りないくらいの剣幕であった。しかも、会席十円とか十五円とか好況時代らしい高い金を取っていたのであるから、馬鹿な話だ。なにしろ世間の景気がよくて懐に金がある。そこへ持ってきて、大あゆなるものが東京人士には珍しい。あゆの味のよしあしなどてんで無頓着な成金連だから、あゆの大きさが立派で、金が高いのも、彼らの心持にかえってぴったりするというようなわけで、自己暗示にかかった連中が、矢も楯《たて》もたまらず、なんでも春日のあゆを食わなければという次第で、この店は一時非常に栄えたものだ。
 あまりの評判だからついにある日、わたしも出かけてみた。行ってみると、そのあゆなるものが、まるでさばみたいな途方もない大きな奴《やつ》で、とうてい食われた代物《しろもの》ではない。仕方がないから、腹の白子を食って帰って来たが、
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