れがあゆ売りの特殊な技術になっていた。
そんなわけで、わたしはあゆを汽車で京都から運ぶ際に担《にな》い桶をかついだまま汽車に乗り込ませ、車中でちゃぷんちゃぷんをやらせたものであった。もちろん駅々では水を替えさせたが、想い起こしてみると、ずいぶんえらい手間をかけて東京に運んできたものである。たかだか二十五、六年前のことだが。
しかし、いずれにしても、あゆをそういう工夫によって長く生かしておくわけにはゆかない。本当の生簀でもあゆを入れておくと、どうしても二割ぐらいは落ちるものが出てくる。これとても食えないことはないが、味がまずい。単にまずいばかりでなく、第一塩焼きにしても艶《つや》がなく、見た目にも生き生きしていないから料理にならない。そこで料理屋はこれにタレ[#「タレ」に傍点]をつけて照り焼きに仕上げるのである。まさかこればかりを客に出すわけにもいかないから、活《いき》あゆの塩焼きといっしょにして「源平焼《げんぺいや》きでございます」などといって出す。それを知らないで、中には自分の方から源平焼きをくれなどと注文して料理屋を喜ばす半可通もないではなかった。
半可通といえば、東京にはも
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング