どうしてこんなものが評判になったのかといえば、今いった通り、あゆというものをてんで知らない連中が、大きくて、いかにも立派なものだから、それにすっかり魅せられてしまったのだろう。
料理人の野本君は才人でもあり、太っ腹の男でもあったから、時に応じた考えから、大あゆばかりをたくさん取り寄せ、それを葛原冷凍に預けて、出しては食わせ、出しては食わせていた。それにあゆの本当を知らぬひとびとが、彼の政略にまんまと引っかかった。しかし、この店も料理人の野本君が出てからは、なんだかすっかりだめになってしまった。
だが、こんなインチキが、必ずしも過去の語り草ばかりではなく、現在築地あたりでこの手をやっているところがないではない。
ある日河岸へ行ってみると、あゆのついた弁当が十五銭でできるという話をしている者があった。腐っても鯛という諺《ことわざ》はあるが、いかになんでもあゆである。安くても三十銭や五十銭はするであろうのに、あゆをつけて一つの弁当にしたのが十五銭とは何事だと、これには私もいささか驚いた。
ところが、底には底があるもので、河岸あたりであゆが売れ残ると、これを冷蔵庫へストックしておく。そ
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