、ハンディキャップをつけて話を聞かなければなるまい。
 冬から春にかけて、しびまぐろに飽きはてた江戸人、酒の肴《さかな》に不向きなまぐろで辛抱《しんぼう》してきたであろう江戸人……、肉のいたみやすいめじまぐろに飽きはてた江戸人が、目に生新《せいしん》な青葉《あおば》を見て爽快《そうかい》となり、なにがなと望むところへ、さっと外題《げだい》を取り換え、いなせな縞《しま》の衣をつけた軽快な味の持ち主、初がつお君が打って出たからたまらない。なにはおいても……と、なったのではなかろうか。
 初がつおに舌鼓《したつづみ》を打ったのは、煮たのでも、焼いたのでもない。それは刺身《さしみ》と決まっている。この刺身、皮付きと皮を剥《は》ぐ手法とがある。皮の口に残るのを嫌って、皮だけを早く焼く方法が工夫された。土佐の叩《たた》きがそれである。しかし、土佐の叩きは、都会の美味い料理に通じない土地っ子が、やたらに名物として宣伝したので、私の目にはグロであり、下手《げて》ものである。焼きたての生暖かいのを出されては、なんとなく生臭《なまぐさ》い感じがして参ってしまう。しかし、土佐づくりは皮付きを手早く焼き、皮ご
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