た初がつおは、海路を三崎廻《みさきまわ》りで通ったものではあるまい。陸路を威勢よく走って運ばれたものであろうが、それにしても日本橋の魚河岸《うおがし》に着く時分《じぶん》は、もはや新鮮ではあり得なかったろう。それでも江戸っ子は狂喜して、それがために質《しち》まで置いたというから大したものだ。
私の経験では、初がつおは鎌倉|小坪《こつぼ》(漁師町)の浜に、小舟からわずかばかり揚がるそれを第一とする。その見所《みどころ》は、今人と昔人と一致している。鎌倉小坪のかつお、これは大東京などと、いかに威張《いば》ってみても及ぶところではない。
現今《げんこん》、東京に集まるかつおは漁場が遠く、時間がかかりすぎている。それはそれとして、初がつおというもの、それほど美味《うま》いものかという問題になるが、私は江戸っ子どもが大ゲサにいうほどのものではないと思う。
ここでいう江戸っ子というのは、どれほどの身分の人であるかを考えるがよい。富者《ふしゃ》でも貴族でもなかろう。質を置いてでも食おうというのだから、身分の低い人たちであったろう。それが跳び上がるほど美味がるのであるが、およそ人物の程度を考えて
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング