はいい年をしてよほどの、臆病者なのであろう。
 臆病なればこそ、五尺六寸四分の大《でか》い図体《ずうたい》をして、鬼をもひしがんばかりの獰猛《どうもう》な人相をしているくせに、カミナリが怖いなぞと、バカばかりほざいているわけなのであるが、しかし自分ではそう思いながらも、人から臆病もの呼ばわりされると、無性に腹が立つ。
 私が雷を恐れるのは、何か私の身体が特別に雷の感度に鋭敏な、電気の良導体みたいにでき上がっているからであろう。臆病とか臆病でないとか、そんな人間の本質なんぞに関係のある話ではないぞ。昔、豪勇なる武士で、青蛙《あおがえる》を見ると口がきけなくなるという蛙の良導体みてえな、豪傑があったではないか! と、理屈の一つもヒネクリたくなるのであるが、何と詭弁《きべん》を弄《ろう》しても、結局は臆病なるが故の、させるわざであろうと心の中で苦笑している。
 その反動からかは知らないが、
「私は臆病です、ですから雷が嫌いなのです」
 と、正直に告白している人を見ると、私はその人に何ともいえぬ親愛と、尊敬の念の湧《わ》き出《い》ずるのを、禁じ得ない。
 今の世代の読者には親しみのない名かも知
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