も御料《ごりょう》牧場育ちの、四歳、五歳という乗馬用のアラブ種ばかりです。
その立派な馬を見てから、爪先《つまさき》上がりの草原を海岸へ足を向けて、娘たちの家からいくつの丘を越え林を越え、野を越えて来た頃でしょうか? 風致のいい赤松の丘の中ほどで、呀《あ》っ! と思わず私は立ち停まりました。この山の中に……この山の中に! そしてそれは、なんという壮大さでしょう。
広々とした深い地下を掘り返して、縦横に鉄柱が峙《そばだ》ち、鉄梁《ビーム》や鉄筋が打ち込まれて、地下工事が施されているのです。しかも雨に打たれ風に晒《さら》されて、鉄柱《ビーム》も鉄筋も赤く錆《さ》びて、掘り上げられた土が向うに、山をなしています。|荷揚げ機《デレッキ》やブルドーザーなぞも打《う》っ棄《ちゃ》られたまま、工事半ばの立ち腐れを見せているのです。
「ほう!」
と、もう一度私は、驚嘆の叫びを上げました。もちろん今|眺《なが》めているものは、地下工事だけであって、それ以上のものではありません。が、しかし、この交通不便な山の中へ、これだけの資材を搬《はこ》んで、これだけの建設を進めるとは! この地下工事の費用だけでも、何十万円か何百万円か、私なぞには見当も付きません。
「何です、これは、一体? 何を作るはずだったんです?」
「父はここに、ホテルを作るつもりだったんですわ。地下一階の、地上四階の、……一時にお客が、四、五百人くらいも泊れるような……」
と感慨深げに姉娘のジーナが――昨夜の雑談で、すっかり馴染《なじみ》になって、もうその頃は私も姉娘をジーナ、妹娘をスパセニアと呼んでいましたが、その姉娘のジーナがしゃがんで、感慨深げに中を覗《のぞ》き込んでいるのです。
「東洋一の観光地を作るんだって、随分、楽しみにしていましたけれど……でも、もうそれも、パパの夢物語になってしまいましたわ。止《や》めたんですの……止めたというよりは、お金が続かなくて、できなくなったんですわ」
「悲観しなくたっていいわよ、パパですもの、このまま引っ込んでおしまいに、なりはしないわ。またきっと、立派にやり遂げなさるわ! わたし、パパを信じているわ……今にマンガンが当れば、こんなもの、造作なくでき上がるわ」
「それは、そうでしょうけれど、……でも今のところは、一時立ち腐れね」
「ほう、東洋一の観光ホテルを!」
「そして、ここから大野木を抜けて小浜まで、自動車道路を作るつもりで、予定していたんですけれど……」
とジーナはふり向いて、丘の彼方《かなた》を指さしました。口では強そうなことをいいながらも、残念なのかスパセニアも――残念そうといって悪ければ、名残《なごり》惜しそうに工事の残骸《ざんがい》を、見返り見返り金髪を靡《なび》かせながら、男のように洋袴《スラックス》の足を運んでいます。
これだけの広大な地所を買い占めて、これだけの雄大な大計画を立てた、娘たちの父親という人は……パパは鉱山技師だと、スパセニアはいいましたけれど、一体、どういう人なのだろうか? と、私はそんなことを考え考え、娘たちは仕事の挫折《ざせつ》した父親の心の中を察していたのかも知れません。黙々として歩を運んでいるうちに、潮の香がプウンと強烈に鼻を衝《つ》いて、道が砂だらけになって、ようやく岬の突端へ立つことができました。
いよいよ、東水の尾岬の突端へ、出て来たのです。工事場からここまで、十二、三町くらいはあったでしょうか? そして、たった今工事場で驚嘆の叫びを上げた私は、この瞬間、またもや嘆声を発せずにはいられなかったのです。見ゆる限り海波が渺茫《びょうぼう》として、澎湃《ほうはい》として、奔馬のごとくに盛り上がって、白波が砕けて奔騰し、も一度飛び散って、ざざーっと遥《はる》かの眼下の巌《いわお》に、飛沫《しぶき》をあげています。
豪宕《ごうとう》というか、壮大無比というか!
「あ、危ない、まだそこの欄干《てすり》が、できていませんわよ……」
落ちたら最後、もちろん、命はありません。からだが粉々に砕け散ってしまうでしょう。眼下数百|呎《フィート》というか、数百丈というか? 切り立つように嶮《けわ》しい断崖《だんがい》です。その断崖の真下に打ち寄せて来る波は、千千石《ちぢわ》湾から天草灘《あまくさなだ》を越えて――万里舟を泊す天草の灘、と、頼山陽《らいさんよう》の唄ったあの天草の灘から、遠く東支那海へと列《つら》なっているのでしょう。
そして右手の方、紫に淡く霞《かす》んでいるのは、早崎《はやさき》海峡を隔てて天草本島かも知れません。点々として、口の津らしいところが見えます。加津佐《かづさ》あたりと思《おぼ》しい煙も、見えます……瞳《め》を転ずると、小浜《おばま》の港が、指呼《しこ》のうちに入ります。万里の海風が颯々《さっさつ》として、ここに立っていても怒濤《どとう》の飛沫《しぶき》でからだから、雫《しずく》が滴り落ちそうな気がします。
景観……大景観……無双の大景観です。父が旅行が好きなので、伴われて私も随分各地の景色を、見て歩きました。が、まだ、これほどまでに雄大無双の景観というものは、眼にしたこともありません。もう一度私は、さっきの地下工事場を、ふり向いて見ました。
あすこにもし、四階建ての大ホテルでも聳《そび》えたならば、ホテルは夜の不夜城のごとく海原《うなばら》遠く俯瞰《ふかん》して、夏知らずの大避暑地を現出するでしょう。たしかに、東洋一の大景勝地ホテルの名を恥ずかしめはしないでしょう。父親ならずとも私だって、金さえあればここへホテルを、建てたいくらいです。
「道だけは、あすこへ拵《こしら》えてありますのよ。降りて御覧になります?」
なるほどジーナの指ざすとおり、二、三町先には絶壁をえぐって、急な幾百階かの岩の階段が、斜めに刳《く》り抜いてあります。危険を慮《おもんぱか》って、そこにだけはさすがに鉄の鎖で、欄干《てすり》が設けられて、波打ち際まで攀《よ》じ降りするようになっていますが、しかし私は降りませんでした。降りたところでただ飛沫《しぶき》に打たれるばかり、この辺の海は荒くて泳ぎも海水浴も、できる場所ではありません。ここから七里小浜近くまで行かない限り、波は穏やかにならないということです。
スパセニアのいう柳沼という湖は、そこから草原を南の方へ二、三十分ばかりの距離……なるほど、そう大きな湖水ではありません。が、水は清冽《せいれつ》で底の藻草《もぐさ》や小石まで、透《す》いて見えるかと疑われるばかり、そして四周を緑濃い山々が取り囲んで、鳴き交う小鳥と空飛ぶ白雲のほかには、訪れるものもない幽邃《ゆうすい》さです。
恍惚《うっとり》と私は、眺《なが》め入りました。眺めても眺めても、眼に入る限り雲と山と、小鳥と鬱蒼《うっそう》たる樹木ばかり……もしさっきの雄大な景観がなかったとしても、浮世の塵《ちり》に汚されぬこんな美しい湖一つだけでも、もし私が大人だったならば、ホテルの一つぐらい作りたくなったかも知れません。
「ホテルを作ったら、ここに白鳥を放して、快走艇《ヨット》や遊覧ボートをうかべて、日本へ来る外人客をみんな呼ぶんだって、パパは楽しみにし切ってましたのよ……」
湖畔に、朽ちて倒れた楢《なら》の大木があります。その幹に腰を降ろして、ジーナがいうのです。私も並んで腰をかけました。スパセニアが番人にいい付けて、水門を開いて水を落して見せるのだと、私たちを離れて遥《はる》かの小舎《こや》の方へ駈け去っていった時でした。
この辺の地所もまたこの湖も、みんな父親のものだとジーナがいうのです。一体|貴方《あなた》のお父様という方は、どういう方なんです? 鉱山技師でありながら、こんなドエライ土地を持って、おまけにあんなすばらしい大工事をやりかけて、こんな湖までお買いになって……お母さんもおいでにならないで、……こんな淋《さび》しい山の中なぞに住んで……と堪《たま》らなくなって到頭私は、昨夜以来聞きたい聞きたいと思っていたことのすべてを、みんな一時に口へ出してしまいました。そしてその時初めて、ジーナから詳しい身の上を聞く機会を持ったのです。
四
「父は、ほんとうにえらい人ですわ。娘の口から、そんなことをいっては、おかしいかも知れませんけれど……どんな苦しいことがあっても、決して愚痴はいいませんし……」
と溜息《ためいき》を吐《つ》いて、ジーナは語り出しました。父親というのは、同じ長崎県でもここからは北の端《はず》れに当る、平戸島の人だというのです。漁師の家に生まれて貧しいために、学校の教育も碌々《ろくろく》受けられないで、子供の時から漁師仕事ばかりしていたというのです。
十四の時には到頭、外国船の給仕《ボーイ》に売られて……が、船の待遇が悪くて虐待されるのであっちへ着きこっちで積荷して、流れ流れてアドリア海のスプリトという、小さな港で木材を積み込んだ時に、到頭脱走して、陸地へ逃れてしまったというのです。
今から思えばそこが、ピーター陛下治世当時のセルビア王国、今のユーゴ・スラヴィア国のダルアチア州だったのですが、十四ぐらいの無学な子供に、自分の逃げ込んだ土地が英国なのか、伊太利《イタリー》なのか、仏蘭西《フランス》だか何が何やら、わかったものではありません。ただ、鬼のような船長に見つかりたくない一心で、暗雲《やみくも》に奥へ奥へと逃げ込んで、農家の水|汲《く》みをして昼の麺麭《パン》を恵まれたり、麦畑の除草を手伝って晩飯にありついたり、正規の入国手続きを踏んでいないのですから、官憲の眼を忍んであっちへ逃げこっちへ逃げして、言語に絶する辛酸を舐《な》め尽しました。それでも翌年の春には、ゼニツアという鉱山で働くことができたというのです。
そしてその働いているところが、ある日、鉱山主の眼に留まって、言葉もわからぬ異郷でいたいけな日本の子供が苦労しているのを哀れに思った鉱山主のお陰で、昼は働きながら夜は鉱山経営の夜学校へ通わせてもらうことができるようになったというのです。
が、案外成績がいいので教師たちから惜しがられて、今度はイドリアの中学校《ギムナジューム》へ……そこを終るとさらに高等学校《リッツエ》へと、いずれも思いのほかに成績がいいのに驚いて、鉱山主も本式に身を入れ出しました。そして高等学校《リッツエ》を終ると正式に学資を出してくれて、首都のベルグラードの大学《ユニヴァルステート》へ入れてくれました。もう働かなくても、勉強できる身の上になったのです。
専攻は、採鉱|冶金《やきん》学……もともとが、無理な生いたちをしているのですから、学校も年を取ってから出て、二十九の年にやっとベルグラード大学を卒業することができました。そして鉱山主の頼みで、その長女と結婚して鉱山主の事業を助けることになったというのです。
「その鉱山主がドラーゲ・マルコヴィッチといって、わたくしたちの祖父……長女というのが、母ですわ。でも、祖父の鉱山といったところで、そう大きな銅山ではありませんのよ。その時分は、三流四流の小さな銅山だったということですけれど、結婚して一心に祖父を助けて、二十年ばかりのうちに父の努力一つで、銅山は採量が増して、今ではユーゴ国内で一、二を争う産出額を持つようになりましたの。そのほかに、銀山の大きなのを一つと、クロアティアのマイダンペックに、モリブデンの鉱山まで、持てるようになりましたの」
鉱山主の長女である姉妹《きょうだい》の母親は、スパセニアが生まれると間もなく世を去って、姉妹とも母の味というものを、ほとんど知らないというのです。物心ついてからは、ただ父親の慈愛一つに育《はぐく》まれて、その時分姉妹の住んでいた本邸は、首府のベルグラード郊外、そこで三十人近くの召使に侍《かしず》かれて、別邸は銅山の所在地のゼニツアの町に一つと、ボスニア・ヘルツェゴビナ州のサライエボという美しい都会にも、避暑用として一つ……。
ユーゴの銅山王マルコヴィッチの孫娘と呼ばれて
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