墓が呼んでいる
橘外男
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)伊香保《いかほ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)柳田|篤二郎《とくじろう》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]
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はしがきの一
この話は、今から四年ばかり以前にさかのぼる。その使いが初めて私の家へ来たのは、何でもその年の九月頃ではなかったかと、覚えている。一週間ばかり私が、伊香保《いかほ》の温泉へいっている間に、六十くらいの下男《げなん》風の老爺《ろうや》が来て、麹町《こうじまち》のお邸《やしき》から来たものだが、若旦那《わかだんな》様が折り入ってお眼にかかりたいといっていられる。が、御病中で動けないから、ぜひこちらの先生に、いらしていただきたいと頼みに来たと、いうことであった。
名前は、麹町の五番丁に住む、柳田とかいったということである。もちろん、私が不在だと妻は断った。では、お帰りになった時分に、またお伺いすると老爺は、帰っていったというのである。
私が帰って来たら、妻がその話をした。私には、柳田などという家に、知り合いはない。第一、私は見ず知らずの家から、迎えに来られる身ではない。打抛《うっちゃ》っておけ! と、いっておいた。
五、六日たったら、その老爺はまた来たそうであったが、その時も私は、留守であった。が、妻は私の性質を知っているから、主人がいましても、多分存知ないお宅へは、お伺いしますまい、どんな御用か知りませんが、お直りになってからでもお手紙で、そう仰《おっ》しゃって下さいと、断ってしまったということであった。
それでいいでしょう? というから、ああいいとも、結構だ! と私はいった。用もいわずに人を呼び付けるなぞとは、無礼である。また何のため、そんな見ず知らずの家へ呼び付けられるのか、その理由もわからぬ。私は不快に感じた。
それっきり、その妙な家との交渉は、絶えた。後で聞くと、それから一、二度手紙をくれたということであったが、それも記憶にない。いずれにせよ、その婦人の来訪を受けたのは、その翌年の五月頃であった。
なるほど老爺がお邸《やしき》といっただけあって、相当な家なのであろう。婦人は自家用車に、乗って来た。車を待たせておいて、用談にはいったが、人品も服装《みなり》も卑しからぬ、五十二、三くらいの婦人であった。
この婦人の話によって、私にはなぜ老爺が若旦那《わかだんな》様は御病中御病中をふり回したのか、使いの主が私を呼び付けようとしたのか? その理由もハッキリ納得がいったのであったが、この婦人は、私に手紙をよこして再三老爺を使いによこした人の、母親だというのである。
そして、若旦那様と老爺の呼んでいる、その人というのはまだ二十五歳の青年で、胸の病気でもう二年越し、寝た切りの身の上だというのであった。
「一言わたくし共へ話してさえくれますれば、わたくしなり主人なりがお伺いして、こちら様の御納得のおいきになりますよう、事を分けてお話も申上げ、またお願いもいたしたのでございますが、何せ昨日初めてそんなことも聞かせてくれたようなわけでございまして……使いの者が、どんな失礼なことを申上げましたやら、さぞ、お気持をお悪くしていらっしゃいましたことと、ねえ」
と物慣れた静かな口調で、詫《わ》びた。用件はその息子の青年が、ぜひ一度私に逢《あ》って、お願いしたいことがあるというから、お呼び付けするようでまことに失礼だとは思うけれども、子供に逢ってやっていただけないだろうか? という頼みなのであった。
電話ででもお知らせ下されば、御都合のいい時いつでも、車をお迎えに出しますからというのである。そして言葉を継いで、子供も薄々は感づいているが、もうこの夏を通り越すか越さぬかのところまで、病気が来ているということを内々医者からも、耳打ちされている。ひとり息子ではあるし、できるだけのことはして、当人の思い残すことのないようにしておいてやりたいと思いまして……。
それで、こんな不躾《ぶしつけ》なお願いにも伺いましたようなわけで、どうぞ御不快に思召《おぼしめ》し下さいませんように、と袖《そで》で涙を拭《ふ》いているのを見ると、私も暗い気持がして、言葉が出なかった。傍らで妻も、眼頭《めがしら》を拭いている。そういう重篤な青年が、なぜ私に逢いたいのか、どんな用があるのか、それはわからぬがともかく、母親の言葉を聞いているうちに、私は今日までの不快がまったく、消え失《う》せるのを覚えた。消え失せたばかりではない、いいようなく胸が痛んできた。
「では、これから、お伺いしましょう!」
「まあ、これからスグに?」
「いけませんか?」
「いいえ、飛んでもない! そうお願いできますれば、もうこの上ございませんけれど……でも、それではあんまり、押し付けがましいようで……」
と、母親の眼には、また涙がうかんでくる。ひとり息子の重病で、気が弱くなってちょっとした人の行為にも、スグ涙ぐんでいるのを見ると、今日までの二年間、親の方がどんなに苦しんでいたか私にも察しられるような気がした。
そうして上げて、貴方《あなた》、そうして上げて頂戴《ちょうだい》! と、私の方を向いている妻の眼が、瞬《しばた》いている。牡丹《ぼたん》はもう散ったが、薔薇《ばら》は花壇一杯、咲き乱れている。フーペルネ・デュッセとかグローリアス・デ・ローマとか、なるべく艶麗《えんれい》なのを選んで妻が花束を拵《こしら》えているのを見ると、
「そんなにまでしていただいて……まあ、もう、結構でございますから、奥様」
と母親は縁側に佇《たたず》んで、おろおろしている。それを見ながら私が考えたのは、なるほどそういう長い病気では、手紙を書くというわけにはゆかぬであろうが、せめてもう少し気の利《き》いた使いでもよこして、事情さえ説明してくれたら、私ももっと早くにそんなに病気の重くならぬうちに、飛んでいったものを! と、何だか胸を噛《か》まれるような気持がしたことであった。
ともかくこれが、柳田というその青年の家へ足を運んだそもそもであったような、気がする。三年前の五月頃……薔薇《ばら》の花の、真っ盛り時分であった。
はしがきの二
私が行くことになったので、喜び切っている母親から、車の中で聞いたところでは、その青年は病気になるまで、東大医学部の三年に在学していたということであった。
「ではお友達たちはもうみんな、一人前のお医者さんになってますね」
といってから、心ないことをいったと、自分でも後悔した。
「それはもう、皆さん……免状もお取りになって……」
といいさして、案の定、母親は声を呑《の》んで、賑《にぎ》やかな通りに眼を落している。その放心したような淋《さび》しげな横顔が心を打ったから、
「清瀬《きよせ》村の病院へ行くと、肋膜《ろくまく》の骨を切って直すとか、やってるそうですが、そんなことをなさっても駄目ですかね?」
と、話題を変えてみたが、それもすでにやって、今では右の胸に肋骨はほとんどない、という話であった。
「どんなことをしましても、もう当人に、それだけの寿命しか、ないんでございましょうねえ。ほんの、気胸《ききょう》だけで丈夫になってらっしゃる方も沢山おありになりますのに……」
いつか車は、冠木門《かぶきもん》の大きな邸内《やしきうち》へ入って砂利を敷いたなだらかな傾斜を登っている。気が付いたことは、こんな大きな邸に住んでいるひとり息子では、私のような素人が清瀬村や肋骨を切る話なぞを、持ち出すまでもなく、あらゆる療法は、ことごとく試み尽しているであろうということであった。内玄関もあれば、車寄せの大玄関もある幽邃《ゆうすい》な庭園が紫折《しお》り戸《ど》の向うに、広々と開けている。車が玄関へ滑り込むと、並んでいた大勢の女中が一斉に小腰《こごし》を屈《かが》める。
「早速先生が、お訪ね下さいましたよ、わざわざ御一緒に……」
と婦人に声をかけられて、女中頭《じょちゅうがしら》らしい四十年配の婦人が、
「まあ、……恐れ入ります、若旦那《わかだんな》様が、さぞお喜びでございましょう」
と一際丁寧に、迎えてくれた。磨き込んだ板の間から大階段を上って、案内されたのは南向きの庭の見晴らされる、二階の奥座敷であったが、この座敷の広いこと、二十畳くらいは優《ゆう》に敷けるであろうと思われた。
小間使が茶を運んで来たり、菓子を運んだり、やがて母夫人が現れて、改めて来訪の礼を述べる。お通しして、病人を昂奮《こうふん》させてもいけぬから、おいでになったことを、当人に通じて来る間しばらく、お待ちを願いたいということであった。
やがて通されたのは、この廊下を東の方へさらに、間数《まかず》四つ五つも越えた奥座敷である。なんとバカげて、大きな邸だろうか? とびっくりしたが、これが日本拓殖銀行総裁の柳田|篤二郎《とくじろう》という人の邸であって、迎えに来たのがその夫人、寝ている病人というのがそのひとり息子と後で聞いては、なるほど大きな構えをしているのも無理はないなと、思ったことであった。
病人は、その奥座敷の床の間寄りに、厚い蒲団《ふとん》に仰臥《ぎょうが》している。見る陰もなく瘠《や》せ衰えて、眼が落ち凹《くぼ》んで……が、その大きな眼がほほえむと、面長《おもなが》な眼尻《めじり》に優しそうな皺《しわ》を湛《たた》えて、眉《まゆ》だけは濃く張っている。元気な時はさぞ上品な人だったろうと、昔の偲《しの》ばれるような凜《りん》とした、顔立ちであった。
裾《すそ》に、看護婦が二人|畏《かしこ》まっている。ともかく仰臥しながら私を迎える瞳も光を失って、何さま、重篤な病人であることは一目でわかるが、こんな若い年で、後二、三カ月の命と宣告された親の気持は、どんなであろうと再び暗い気持に襲われた。持って来た薔薇《ばら》を、看護婦が生けている。
「長い間お眼にかかりたいと思っておりましたが……先生よく来て下さいました……」
と喘《あえ》ぐように、病人がいう。
「……有難うございました……何とお礼を……申上げていいか……」
声が嗄《しわが》れて、語尾が口の中で消えて、痛々しい。
「去年から……一遍先生にお眼にかかって……話を聞いていただこうと思っていましたが……ほんとに、よく来て下さいました。……もううれしくて……うれしくて……」
痰《たん》が喉《のど》に絡まるのであろう、看護婦が綿棒で取ってやっている。
「手紙が書けないものですから……使いにわけを話して……お迎えに上げたのですが……私のいうことが、ちっとも伝わりませんで…」
「…………」
もっと気の利《き》いた使いが来て、事情さえわかればこんな酷《ひど》くならないうちに、来たものを! と再び後悔した。
「看護婦に頼んで、お手紙も差上げましたが……それも伝わらなくて……でも……よく来て下さいました。ほんとに何と……お礼を申上げて……よろしいやら……」
疲れるとみえて、言葉を切っている。話をしても差し支えないかと聞いたら、どうぞ! という看護婦の返事であった。看護婦二人が気を利《き》かせて、隣の部屋へ退《しりぞ》く。
「もう……わたくしも……そう長い命ではありません。……昨日も母が……しておきたいことがあったら、何でもして上げるから……遠慮なくおいい! といいますので……先生のことを話しましたら……今日早速……いってくれまして……」
「御事情を、存ぜぬものですから……御病気ならお直りになってから、御用を手紙で仰《おっ》しゃって下さったらよろしいと、その時は失礼なことを申上げました。しかし、今日、お母様にお眼にかかって、御事情もよくわかりました。こんなことなら、もっと早くに伺って、私のできることは何なりと、いたして差上げればよかったと、後
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