ところだとお思いでしょうな?」
紳士は、穏やかにほほえみました。そして私の旅行話に興味を持ったらしく、小形の地図なぞを出して、フムフムと相槌《あいづち》を打っていましたが、そのうちに例の娘は珈琲《コーヒー》を淹《い》れて、運んで来てくれました。
どういう淹れ方か? 私は一遍、東京で土耳古《トルコ》風の淹れ方だとかいって、叔父の相伴《しょうばん》をしたことがありましたが、ちょうどそれと同じでした。小さな茶碗《ちゃわん》に、苦味《にがみ》の勝った強《きつ》い珈琲をドロドロに淹れて、それが昨日から何にも入っていない胃の腑《ふ》へ沁《し》み込んで、こんな旨《うま》い珈琲は、口にしたこともありません。
その珈琲を御馳走《ごちそう》になってるところへ、にこにことほほえみながらまた一人、美しい娘が現れて来たのです。
「ジーナ、お前もかけて、珍しいお客様のお話でも、伺ったら?」
と紳士が勧めましたが、スパセニアが働いてますから、わたしも手伝って! とか何とか、いったようでした。そして顔を染めながら、逃げるように行ってしまいました。その娘の美しさにも、私は眼をみはらずにはいられませんでした。
二十一、二か、三ぐらい、さっきの娘の姉なのでしょう、妹とよく似た面差《おもざ》しはしていますが、これは妹と違って細面の、艶《あで》やかな瞳《ひとみ》……愛らしい口許《くちもと》……隆《たか》い鼻……やっぱりふさふさとした金髪を、耳の後方《うしろ》へ撫《な》で付けて、丈《せい》も妹よりは、心持ち高いように思われます。妹の利《き》かなそうな様子に較《くら》べて、見るからに温和《おとな》しそうな、混血児《あいのこ》にも似ぬ淑《しと》やかさを感じました。
紳士といい今の姉娘といい、またさっきの妹といい、いずれ劣らぬ美しい上品な親娘《おやこ》が、訪《おとな》う人も来る人もない淋しい山の中の一軒家で、一体、何をしているのでしょう? そして、形も崩さず、礼儀正しく生活している不思議さ? しかも今の父親の話によれば、まだ東京へ行ったこともないというのです。
父親が東京を知らないのなら、娘たちとても都は知らないのでしょうが、東京でさえめったに見られないような人たちが、こんな山の中にこんな清らかな住居を構えて、一体どういう身の上の人なのだろうか? と、私は燃えるような好奇心を、感ぜずにはいられなかったのです。
そのうちに、笑いながら妹娘と姉娘とが、縺《もつ》れ合って出て来ました。活発な妹娘が、父親に寄り添って何かいいますと、
「こんな山の中で、お口に合うようなものもありませんが、食事の仕度が整ったと申しておりますから、どうぞ!」
と紳士は促しました。あんまり図々しいようですが、堪え難い空腹なのでこれも遠慮なく御馳走《ごちそう》になることにしました。娘たちの後からついていった部屋は廊下を鉤《かぎ》の手に回った奥の西洋間らしい階段の下の、スグ取っ付きの部屋でした。明け放した廊下からは、例の眼も絢《あや》な芝生が、一望遮るものもなく遥《はる》かの麓《ふもと》まで、なだらかに開けています。そして処々に一かたまりの五月《さつき》や躑躅《つつじ》が、真っ白、真っ赤な花をつけて、林を越して向うには、広々と群青《ぐんじょう》色の海の面が眺《なが》められます。
ここが食堂なのでしょう、清潔な卓布をかけた長方形の卓子《テーブル》が据《しつら》えられて、短いカーテンに掩《おお》われた食器棚や、戸棚や……そよそよと芝生を撫《な》でて来る柔らかな風がそのカーテンの裾《すそ》をなぶって、椅子《いす》に凭《もた》れていると、恍惚《うっとり》と眠けを催すほど、長閑《のどか》な気持になってきます。そして、美しい娘二人の並べてくれたこの食事の、どんなに美味なことだったでしょう。
「生憎《あいにく》今日は、御飯を炊いてませんのよ、お口に合いますまいけれど、どうぞ!」
と妹の勧めてくれるおいしい裸麦《ライむぎ》の麺麭《パン》や、カルパス、半熟卵、チーズだとか果物、さっきのような強《きつ》い珈琲《コーヒー》……どんなに生き返ったような気がしたか、遠くの海を眺《なが》めながら、そして庭の緑に眼を放ちながら、麺麭をちぎり卵を抄《すく》い……私が饑《う》えを満たしている間、娘二人は両端に座を占めて、紅茶を飲みながら久しぶりの客をもの珍しそうに、東京の話、私の通って来た雲仙《うんぜん》からの道中、登って来た山々の話なぞ、それからそれと話し合っていました。なるほど私の想像していたとおり、同じような顔立ちながら、姉の方は無口とみえて恍惚《うっとり》と細目に眸《め》を開いて、ただ夢のようにほほえんでいるばかり、私の相手は妹に任せている風でした。
そして、今でも覚えているのは、この眺めている海には一艘《いっそう》の船もなく、船どころか! 見える限りの景色のどこにも、また家の中にもこれ以上の人はいないように思われます。あんまり寂寞《せきばく》過ぎて、なんだかそれが私には、不思議でなりません。ですから飽きずにそんな質問ばかり、繰り返していたような気がします。初めのうちは、酔興でどこかこの辺の都会地の人が別荘でも構えているのか? と思いましたが……。
「こんな山の中に、こんな立派な家を構えて……お父様でも貴方《あなた》がたでも、そんな綺麗《きれい》にしてらっしゃって……」
と、私はもう一度、格天井《ごうてんじょう》に眼を放ちました。
「実際不思議です、僕にはそれが、不思議でならない……どこを見ても、誰一人人はいやしないし……なぜ、こんな淋《さび》しいところに、住んでらっしゃるんですか?」
「だって、父がここが好きで、住んでるんですもの、仕方ありませんわ」
と姉娘が笑い出しました。
「淋しくないんですか?」
ちっとも! という返事です。
「わたしたちもう七年も、ここに住んでますけれど、淋しいなんて感じたことなんか、ありませんわ」
「へえ!」
と私は、感心しました。
「よく、淋しくないもんですね! 僕なんか意気地がなくて、とても住んでられやしない……」
「ペリッがいますわ! ペリッがいれば、もう怖《こわ》い人が十人くらいかたまって来たって、何ともありゃしませんわ。夜だって、見回ってくれますし……わたしたち碌々《ろくろく》、戸締りなんかしたこともありませんのよ」
と妹娘が眼をクリクリさせて、口をはさみました。ペリッというのは、犬の名前なのです。そして私たちの話は自然、犬のことに移りました。ペリッは生まれた国では、牛犬《クラブニ・ハウ》といって、この犬一匹いれば猛牛二頭を倒すと、昔からいわれているのだそうでした。元々はコリー同様、牧羊犬なのだそうですが、今ではもっぱら番犬として珍重されて……しかし、原産地地方でも今では数が尠《すくな》くて、ほんとうの牛犬《クラブニ・ハウ》はそう沢山にはいないというのです。
が、今いるのは生粋《きっすい》の牛犬《クラブニ・ハウ》だと教えてくれました。ついこの一月までは、雌雄《しゆう》番《つがい》でいたけれど、心臓《フィラリア》を患って今では雄一匹になってしまったのだと、仲好しらしい妹娘の方が残念そうにそういうのです。
「じゃ、さっき、貴方が制止して下さらなかったら、僕は噛《か》み付かれたか知れませんね」
と、妹娘の脚の下に、長々と蹲《うずくま》っている巨大な犬を眺めながら、私は今更のように竦然《ぞっ》としました。
「どこで、生まれたんですか? 僕も、こういう奴を飼いたいな……こんな猛烈な奴を、まだ見たことがない」
私も、犬は嫌いではありません。家にも、シェパードが二匹います。世界で一番巨大な犬は、セントバーナードとグレートデーンだといわれています。セントバーナードは見たことがありませんが、この牛犬《クラブニ・ハウ》はまず、グレートデーンをもう一回り大きくして、逞《たくま》しくしたと思えば間違いありません。
「オシエックというところで、生まれましたの、クロアティアの」
「クロアティア?」
「ええ、クロアティアの……ユーゴ・スラヴィアの……」
という返事です。
「欧州のユーゴ・スラヴィア……? へえ! そんな遠いところから、お買いになったんですか?」
「買ったんではありませんの、持って来たんですわ。……わたしたち帰る時、一緒に連れて来ましたの、ですからもうお爺《じい》さんですわ……」
「じゃ、貴方《あなた》がたは、ユーゴ・スラヴィアに……? そんな遠いところに、お住いだったんですか?」
「ええ、日本へ帰るまで、ずっと向うにいましたの、向うで生まれたんですもの……ですからわたしたち、日本のどこも知りませんのよ」
だからペリッチという犬の名も、ユーゴ語だと教えてくれました。
これでいくらか謎《なぞ》が、私にも解けたような気がしたのです。ここへ足を入れた時から、何か違ってる違ってると思っていたのは、まったくその雰囲気の違いだったのかも知れません。東京で見慣れている、亜米利加《アメリカ》人の生活様式なぞとは、まったく異なっているのです。たとえば今私の座っている、この部屋の装飾一つでも、どっしりした彫刻の施してある、卓子《テーブル》一つでも……そして部屋の片隅に置いてある、大きな電気蓄音器でも。
たとえば、娘たちの手にしている紅茶茶碗にしても、それは私たちの使っている陶器の、茶碗ではありません。スッポリと洋杯《コップ》全体が嵌《はま》るような把手《とって》のついた、彫りのある銀金具の台がついているのです。そしてさっき私が家へはいる時に見た、厚い白壁作りの洋間も、何か外国の油絵でも見てるような感じだと思っていた原因が、今やっと腑《ふ》に落ちてきたのです。
東|欧羅巴《ヨーロッパ》のユーゴ・スラヴィアという、日本にも馴染《なじみ》のない国の建築だったのです。
さて、腹も張って他愛もない雑談を交えているうちに、昨夜|藪蚊《やぶか》に食われて碌々《ろくろく》眠ってない顔に、眩《まぶ》しい朝暾《あさひ》が当ってくると、堪《たま》らなく眠くなってきて……娘たちにも私の疲れているのが、わかるのでしょう、一眠りして行けと、勧めてくれるのです。
「父が、いってましたわ……途中で道が分れてますから、後で誰かにお送りさせるって……わかるところまでわたしたち、連れてって上げてもいいですわ、……一眠りしていらっしゃい!」
初めての家で、そんな迷惑までかけては済まないと思いましたけれど、こう眠くてはヤリキレマセン。ついでにこれも、好意を受けることにしました。
姉娘の導いてくれたのは、スグそこの階段を上った、二階の取っ付き部屋でした。緋《ひ》の絨毯《じゅうたん》を敷き詰めた洋間でありながら、ブェランダ紛《まが》いの広い縁側がついて、明け放した大きな硝子《ガラス》戸からは海や谷底を見下ろして、さっきよりもっと眺望のいい部屋でした。
部屋の真ん中には、真新しい敷布《シーツ》に掩《おお》われた大きな寝台《ベッド》が据えられて、高い天井や大きな家具、調度類……皺《しわ》くちゃになった襯衣《シャツ》のまま、横になるのが憚《はばか》られるような、豪華さでした。さて、そうして寝台に身を投げてはみましたが、その時の私の気持を、何といい現したらいいものでしょうか?
子供の頃に読んだ千一夜物語《アラビヤン・ナイト》の中には、バグダッドの町を彷徨《さまよ》い歩いた荷担《にかつ》ぎの話なぞがよく出ています。夕暗《ゆうやみ》の立ちこめた町の小路で、ふと行き摺《ず》りの美女に呼び留められて、入り込んだ邸《やしき》の中が眼の醒《さ》めるような宮殿で、山海の珍味でもてなされたような物語が、よく出てきます。その時の私の気持が、ちょうどその荷担《にかつ》ぎだったといったら、いいでしょうか?
今は午前中で、まだ黄昏《たそがれ》でもありませんし、またここがそれほどの宮殿とか、山海の珍味だとかいうのではありませんけれど、それでもなんだか狐《きつね》につままれたような、心地です。頭の芯《しん》がトロトロと微睡《まどろ》んで
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