《かみ》さんまでが、いつの間にか、はいり込んで来て、恐ろしそうに肩をすくめているのです。ハハア、さっき障子の陰で聞き耳を立てていたのは、この女だなと気が付きました。
「石橋様のお嬢様がお亡くなりになったチュウことを、旦那様はなかなかふんとうになさらねえということでやすが」と、その伊手市どんという男が話し出しました。
「藤《とう》どんのいうこたア、確かにふんとうの話でやすで……」
 藤どんというのが、亭主の名前でしょう。
「水番の六蔵どんや、馬丁《べっとう》の福次郎どんに頼まれて、わしが現にこの手でお嬢様たちのお墓を刻んだでやして……」
 重い口でポツリポツリと話し出しました。もう姉妹《きょうだい》の死を疑うところはありません。いいえ、疑わぬどころか! 凄惨《せいさん》とも、陰惨とも、申訳ないとも、気の毒とも……聞いているうちに私は、何ともかともいおうようのない気がしてきたのです。
 この男たちが、自分自身見たのではありませんから、痒《かゆ》いところへ手の届くようなというわけにはゆきませんが、ともかく村の噂《うわさ》によると、石橋様のお邸《やしき》は、何でも去年の九月頃とかに火を出して、全部燃えてしまったでやす……というのです。そして焼けた後しばらくは、近くに馬小屋とかがあって、馬丁のいたその一間《ひとま》に、石橋様というお大尽《だいじん》も、お嬢様たちも住んでいられたようであったというのです。が、やがてその石橋様というお大尽は、ある日、湖の近所で拳銃《ピストル》で頭を打ち抜いて自殺してしまわれたというのです。
 噂では、何でも欧羅巴《ヨーロッパ》の何とかいうムズカシイ名前の国に長いこといられて、その国一番とかいうもの凄《すご》いお金持でいられたが、戦争でその財産が滅茶滅茶《めちゃめちゃ》になってしまったのと、もう一つは、広大な地所を売り、柳沼を売り、大野木の開墾地まで手離して、金を注ぎ込んでいられたマンガン鉱山とかが思わしくなく、それやこれやで、気がおかしくなって、自殺されたらしいという噂だったというのです。
 父親の死後も、娘たちは二人で、その馬小屋の部屋に住んでいたようでしたが、その時分、大野木村の郵便局へよく二人連れで馬を並べて、郵便物を受け取りに来る姿が見られたというのです。そして、東京から郵便が来てるはずだがと、来るたんびに気にかけて問うていたのが、見受けられたというのです。
「東水の尾の混血児《あいのこ》娘たちア、何であんなところにいつまでもこびり付いてるんだろうなア、一匹売り、二匹売り……もう馬だって一匹しか残ってやしねえや!」
 と、この村でも噂しているものがあったというのです。
 農場の農夫たちは、父親の在世中から、もう疾《とっ》くに散り散りバラバラになっていましたが、この頃から馬丁《べっとう》の福次郎も、水番の六蔵も山を降って、あの淋《さび》しい山の中には、ただ娘たち二人っ切りが住んでいたのですが、しかもそのうちに、仲のいいこの姉妹《きょうだい》の間に争いが起ったらしく、あろうことか、あるまいことか! 妹は到頭、姉を撃ち殺してしまったというのです。
 もちろん、人の往来《ゆきき》とてもないこの山の中ですから、その時はスグにそんなことがわかったわけではありません。が、後になって、小浜《おばま》の警察署から刑事たちが登って来て調べたところでは妹が姉を殺したのは、おそらく今年の四月中頃ではなかったろうか? という推定だったのです。
 姉の亡くなった後も、一週間か十日ばかりは、妹の姿が……白い馬で、村の郵便局へ通って来るのが見受けられました。よほど東京からの手紙を待っていたらしく、四里の道をほとんど毎日のように、通って来るのが見受けられたというのです。姿を見せなくなった最後の日なぞは、まだ何にも来ていないと聞かされると、ハラハラと涙をこぼして、しばらくは立ち去れずに、郵便局前の電柱に凭《もた》れて泣いていたと、見て来た人が村にもあるというのです。
 前にもいったとおり、この話はこの石屋の伊手市《いでいち》という男が、自分で見たというわけではなく、主に村の噂《うわさ》を中心として聞かせてくれたことなのですが、
「どうも旦那《だんな》さんを前に置いちゃ、いいにくいことでやすが……」
 と前置きして言葉を続けるのです。
 噂では何でも、前々年の夏とかに、東京から米た大学生とかがあって、その大学生が姉の方にも、妹の方にも調子のいいことを並べ立てて立ち去ったばっかりに、姉妹ともそれを真《ま》に受けて、初めは父親の死後も二人で仲よく轡《くつわ》を並べて、郵便局へ手紙を取りに来ていたが、姉妹間に争いが起ったというのもその大学生が両方にいいことを並べたばっかりに、姉は大学生が自分を思っていると思い込み、妹の方は自分を思っていると思い込んで、お前がいるからあの方は来て下さらないんだわ、いいえ姉さん、貴方《あなた》がいるからよ、といい争いが昂《こう》じて、勝気な妹が、到頭姉に拳銃《ピストル》を向けるようなことになったのではなかろうか? と、この邸《やしき》の馬丁をしていた福次郎が、この村へ来た時に、知り人に話していたというのです。そして赫《か》っとした弾みに、姉に発射はしたものの、やっぱり大学生からは何の音沙汰《おとさた》もなく、父も姉もいなくなった淋《さび》しさに堪え切れずに、その勝気な妹も湖水に身を投げて死んでしまったのではなかろうか? という福次郎の話だったというのです。
 しかし福次郎とても、家が焼けてしまってからは、農場の農夫や、水番の六蔵ともども大野木村の開拓民たちのところへ行って、滅多に山へ上ることもないのですから、詳しいことを知ろうはずもありません。ただ、多分そうであろうという推察だけなのですが、ここにその推察を裏書きするものは、さっきもいったとおりに……。

      十二

「そ、そこんところは藤《とう》どん、わっしから且那に申上げよう。わっしは、現にこの眼でお嬢様たちの死体の上がったところを、見てるだから……」
 と、亭主の言葉を引き取って、石屋の伊手市が膝《ひざ》を進めました。
 姉妹《きょうだい》間に殺傷が行われて、姉の姿が見えなくて妹も入水《じゅすい》したらしいという風評を耳にした刑事や巡査の一隊が東水の尾へ登って来たのは、五月の六日頃……明日《あした》は水の尾村の鎮守のお祭りだというその前の日でした。
 日傭《ひよう》で雇われて手伝いにいったものは、大野木村から平戸の農民たち四、五人、山から降りていた馬丁《べっとう》の福次郎と、水番の六蔵、この村からはその時用があって小浜《おばま》にいっていた、この石屋と、もう一人庄どんという農夫の、二人だったというのです。
「その庄吉は、一昨日《おととい》からこの先の鰍沢《かじかざわ》さいって、まだ戻んねえでやすが……」
 湖は周囲一里半、山の影を映し、森を映して静まり返っていましたが、二、三日前に降った雨が、湖岸の森や林を洗って、殊《こと》にくっきりと鮮やかさを増しているように思われました。
 水番|小舎《ごや》の付近に繋留《けいりゅう》された小舟四隻に分乗して、湖心に漕《こ》ぎ出しましたが、湖底へ碇綱《いかりづな》を下ろす必要も何もありません。この湖は一番深いところでも二丈ぐらいといわれていますから、透《す》き徹《とお》って湖底の礫《こいし》一つ、水草一本さえ数えられるかと疑われるばかり……スパセニアの死体が上がったのは、舟を出してから二時間余りの後だったというのです。
「おうい上がったぞう! てえ知らせでしたから、わっしも人の背後《うしろ》からのぞきこんだでやすが、それは綺麗《きれい》なもんでやした。どこにも怪我《けが》がなくて、足でも顔でも、透き徹るようで……美しいという評判の方でやしたが、まったく綺麗《きれい》なもんでがした」
 スパセニアの死体の上がったのは、湖の東南方、湖心に十五、六町ばかりのところでしたが、そこからまた十七、八町離れたところから、ジーナの死体も上がったというのです。
 二人とも死後二、三週間ばかりと推定されましたが、ジーナの方は、スパセニアと違って見るから無残に腐爛《ふらん》して……。
「ああ、見るもんじゃねえ、見るもんじゃねえ! いくら別嬪《べっぴん》でも、こうなっちゃお仕舞《しま》いだな!」
 と、さすがの刑事たちもスグ顔にハンカチをかぶせてしまったというのです。
「生きてなさった時は、妹さんに負けず劣らずの美しさで評判でしたが、死体は爛《ただ》れてフヤケテ、皮膚が剥《む》けて、もう滅茶滅茶《めちゃめちゃ》だという話でやした」
 おまけに、検診していた警察医が、大声を上げました。
「おう……殺《や》られてる……殺られてる……やっぱり殺られてる! 眉間《みけん》を撃たれてるぞう!」
 弾《たま》は額を貫通しているらしく、ベロリと皮の剥けた眉間のあたりに、ピンセットを入れて警察医は頻《しき》りに弾の摘出をしているらしい様子でした。
「見るな、見るな! といわれるだから、わっしはこの方はハッキリと顔を見たわけではねえでやすが、……両方とも屍体《したい》の上がったことも、撃たれて死んでるチュウことも、決して間違いのねえこってやす……」
 妹に撃たれて死んだという風評も、これで確実になったわけです。しかも当の妹の方も死体になってるのですから、噂《うわさ》の真偽さえ確かめればそれでよしということにして、どうせこんな山の中の警察では、もうその上の穿鑿《せんさく》もしなかったのでしょう。死体は解剖に回しもせずに、そのまま湖岸西北方の、例のマンガン鉱山を南に仰いだ小山の麓《ふもと》に――父親の眠っている墓の傍らに、一時仮埋葬をすることにしたというのです。が、その後何日かたって、水番の六蔵と馬丁《べっとう》の福次郎が来て……。
「そうさ……あれはいつ頃じゃったっけなア……何でも二十日《はつか》ばかり過ぎた時分じゃ、なかったけがと思うでやすが」
 と、石屋は頻りに思い出そうとしているのです。
 水番の六蔵と、馬丁《べっとう》の福次郎とが来て、
「お嬢様たちはいつもわたしたちはあすこが一番好きだから、死んだらあすこへ埋めてもらうのよ! と口癖のようにいってなさっただから、今度警察の許可を貰《もろ》うて、葬《とむ》れえ直すことにしただ。済まねえが一つ墓を彫ってくんどという頼みでやしたから、わっしが字を彫ったでがす……」
「その伊手市《いでいち》どんの彫った墓が、旦那《だんな》様がお逢《あ》いになったというあの笹目沢と赤名山との間の、栃《とち》の木《き》の下の分れ道になってるところを、何でも十二、三町ばかり下《さが》っていった原っぱに、建ってるんだそうでして……私はいって見たこたアございませんが、松の木が二、三本|生《は》えてる根っ子で、えらく景色のいいところだとか……」
「そして、墓は何と彫ったのです……?」
「お嬢様の名前でやすが……何てったっけなア……えらくムズカシイ名前で……石橋……スサ……バンナ……スサバンナ……てったっけなア……?」
「スパセニアでしょう?」
「そうそう……スパセニア……スパセニア……石橋スパセニアの墓……もう一つ……これは覚えとるでがす。石橋ジェンナの墓……」
「……ジーナ……」
「そうでやす、そうでやす……ジーナ……ジーナ……石橋ジーナの墓……」
 そして大きさはこのくらいと、手で示したところを見れば、大体一尺二、三寸くらい……ごく小さなものですが、石はこの辺から出る三根石《みつねいし》という、やや暗紫色がかった艶《つや》のある石に、刻んだというのです。これで、もういくら私が疑がってみたところで、いよいよジーナも、スパセニアも、死んだことに間違いはありません。
 聞けば聞くほどただ私にとっては、夢を見るようなことばかりです。もちろん私にも覚えがありますから、石屋の伊出市《いでいち》や亭主のいうことがウソだとは、決して思いません。そして、決して私に、悪意があったことではありませんけれど、そんなに待っていたのなら、
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