、荒涼とも落莫ともいわん方ない、ただ無残な一面の廃墟《はいきょ》です。
茫然《ぼうぜん》として私は、突っ立っていました。やがて気が付いて、中へはいってみました。真っ黒に焼けた柱の燃え残りが、あちらこちらに不気味に突っ立って、テラスの混凝土《コンクリート》の床《ゆか》だけが残っているのが、何ともいえぬ凄惨《せいさん》さです。
よほど火の回りでも早かったのでしょうか? ことごとく焼失して、在りし日のあの豪奢《ごうしゃ》さ、瀟洒なぞというものは跡形もありません。しかも焼け跡を歩き回ってるうちに、またもや私はおや! と眼を峙《そばだ》てました。
焼け跡には、名も知れぬ雑草が一杯にはびこって、白、黄、紫の小さな花をむすんでいるのです。とすれば、ここが焼けたのもまた、昨日や今日のことではありません。何カ月か以前……尠《すくな》くとも半年やそこいらは、過ぎているはずです。さっき来る時に見た、あの溝渠《インクライン》の底に雑草が茂っていたことといい、何かそこに妙な関連があるような気がします。
そうするともう彼女たちも父親も、ここには住んでいないのでしょうか? やっぱりみんな、東京にいってしまったのでしょうか? それならなぜ私に、住所を知らせてよこさないのでしょう? 人に知らせもくれないで……! が、突然|五月《いつつき》ばかり前、スパセニアから受け取った葉書を思い出しました。あの夕方門の前に佇《たたず》んでいた以来は、何の消息《たより》もありませんが、しかしその五月前の葉書には、確かに南高来《みなみたかき》郡大野木村郵便局|留置《とめおき》と、いつもの住所が書いてあったのです。と、すれば、二人ともやはりこの辺のどこかに住んでいるはずです。その葉書には、いつものように、ゼヒゼヒイラシテクダサイ、オマチシテオリマス……と書いてあったのです。
来い来いといったところで、新しい住所を教えてくれなければ、訪ねて行けないじゃないか! と一瞬私は、腹立たしい気になりました。焼け跡に何か、立ち退《の》き先でも残してないか? と調べてみましたが、それらしいものも見当りません。ともかく、こうなれば、どこに彼女たちが住んでいるかを探すことが、第一の急務です。ああ、自動車を返すんじゃなかった! とじだんだ踏みたいような気になりましたが、いくら後悔したからとて、もう追っ付くものではありません。
が、その瞬間、また突然頭に閃《ひらめ》いたのは、ゼヒゼヒイラシテクダサイ、オマチシテオリマスという葉書も、そのまた前の葉書も手紙も、ことごとく東京で、ジーナやスパセニアの姿を見た以前のものばかりで、それ以来は何にも受け取っていないということだったのです。
家が焼けたことといい、殊《こと》に焼け跡や、例の溝渠《インクライン》に夏草の茂っていたことといい、それらに結び付けて、何かジーナやスパセニアの身の上に間違いでも起っているのではなかろうか? と、急に、いても立ってもいられぬ不安な気が起ってきたのです。
道後を夜|発《た》って、東水の尾へ着いたのが翌々日の朝の九時頃でした。眩《くるめ》かしい太陽のかんかん照りつけている長い夏の一日を、どんなに夢中になって私が、その辺一帯を足を棒にして歩き回ったかは、到底先生にも想像していただけないであろうと思われます。
いつか姉妹《きょうだい》に最初に案内された厩舎《きゅうしゃ》へもいってみました。これは以前のままに残っていましたが、もうそこに馬は、一頭もいませんでした。ガランとした煉瓦《れんが》建ての厩《うまや》のみが、真昼の直射を浴びて立っているばかりです。厩舎に付属した和室には、馬丁《べっとう》の福次郎が住んでいると聞いていましたから、そこの戸も引き開けてみました。が、誰も人の住んでいるけはいはありません。キチンと片付いて、何一つ道具とてもない黴《かび》だらけの琉球畳《りゅうきゅうだたみ》だけが、白々《しらじら》と光っているばかりです。
ジーナと語り合った柳沼へも、足を運んでみました。湖の面《おもて》は、相変らず肌寒い水を漫々《まんまん》と湛《たた》えて、幽邃《ゆうすい》な周囲の山々や、森の緑を泛《うか》べて、あの自家発電用の小屋も、水門の傍らに建っています。が、しいんと静まり返って、もちろん、人っ子一人の姿もあるものではありません。湖畔には、朽ちた巨木があの時同様影を浸して、そこに凭《もた》れて疲れをやすめていると、あの時、こうして一緒にかけて、故国《くに》のユーゴの話をしてくれたジーナの優しい俤《おもかげ》が映ってきます。同時に、馬で草原の彼方《かなた》から駈《か》けて来る、上気したようなスパセニアの姿も……。
ジーナ! スパセニア! 僕だよう、やっと訪ねて来たんだよう! と、声を上げて叫びたいような気がしてきます。が、無人の境では、大声を上げることさえ何か空恐ろしいような気がして、私はまた起《た》ち上がりました。
もう一度引っくり戻って、あの立ちかけの地下工事場のあたりを探し、どうどうと飛沫《しぶき》を上げている断崖《だんがい》のふちまでいって見、最後には海水着の姉妹《きょうだい》と三人でもつれ歩いた、あの溝渠《インクライン》の傍らの小径《こみち》に沿うて、一キロばかり第一の曲り角のあたりまでもいって、空《むな》しくまた引き揚げて来た時には、私は疲れと暑さで、くたくたになりました。
滝のような汗がシャツを浸し、ワイシャツをグッショリにし、おまけにこういうことになろうとは、夢にも思いませんでしたから、また今度も昼食の用意はなく、腹は空《へ》るし、喉《のど》は渇くし、暑さで眼も眩《くら》みそうな気がしました。
前にもいいましたように、この年になるまで父母の溺愛《できあい》を受けて、ここまで旅行に出るということは、私にとっては容易な業《わざ》ではないのです。このまま東京へ帰ったら、いつまた来れるか見当も付かないのです。やっぱりみんな東京へいってしまったのか知ら? と落胆《がっかり》しました。
だが、来たついでだ! ようし! 今夜はこの村の役場のある水の尾村へ泊って、明日《あした》は役場へ行って、どこに住んでいるか調べてみよう。
そこでわからなかったら、明日はもう一度ここへ来て、その足で今度は大野木村へ行って、平戸から来ている開墾地の農家を訪ねて聞いてみることにしよう。それでもまだわからなかったら、一応父の許《もと》へ帰った上で、長崎の市役所なり、警察なりへ、照会状を出してみることにしよう。
そう心を決めて、陽《ひ》も大分傾いてきましたから、私は初めて来た時にスパセニアから教えられた、水の尾という村へ向って歩き出しました。いつか私が岩躑躅《いわつつじ》を折りながら降りて来て、突然子牛のようなペリッに咆《ほ》えられた、あの周防山《すおうやま》に並んだ樹木のこんもり生えた、山道へ分け入っていったのです。
陽は山に遮《さえぎ》られて、山は木が真っ暗に繁《しげ》って、その下をつづら折りに登って行くのですから、涼風は面《おもて》を打って、暑いことは少しもありません。が、草臥《くたび》れ抜いたからだに、これから四里の道はまったくうんざりします。でも、仕方がありません。疲れ切った足を引き摺《ず》って、ぼんやりと私は、そのつづら折りの山道を登っていましたが、登り詰めると、今度は山の背を大分行ったところで……こんもり繁った大きな木の下あたりで、もう一つ、右手の山をめぐる小径《こみち》に分れているらしい様子です。
さっきからもう小一里近くは、来ていたかも知れません。そこで私はしばらくやすんでいました。が、うとうととして、ハッと気が付いて顔を上げましたら、そこの小暗い木陰の道から、サヤサヤと誰か草でも分けて来るような音がしていました。疲れていましたし、気もぼんやりしていましたから、その時のことをハッキリと今、思い出すことはできないのですが……。
「先生、その地図には出ていません、こまかいところですから……水の尾村とした左手の方に笹目沢というところがありましょう? その右手の赤名山と、その笹目沢との中間ぐらいのところなのです」
と地図を見ている私に、病青年は注意した。
「おう! 僕だよう……やっと来たんだよう!」
と、私は夢中で躍り上がりました。
「ジーナ! スパセニア! 僕だよう!」
にこにことほほえみながら近づいて来るのは、なんとなんと! 今の今まで、一日一杯私が探して探して探し倦《あぐ》ねていた、ジーナとスパセニアだったのです。
「おう、ジーナ! スパセニア! 僕だよ、僕だよう! やっと来たんだよう!」
と私は、狂気のように手を振りながら、駈《か》け寄りました。
「どこにいたんです? 僕は探して探して……厩《うまや》からあの海岸から……湖水の方まで行って……しまいには溝渠《インクライン》に沿って曲り角まで降りていって……もうへとへとに疲れちゃって……ど、どこにいたんです?」
私は、自分が夢中でしたから、二人が何といったか、どんな顔をしていたかを、もう覚えていません。今から考えると、ほほえみながらも妙に沈み切った、青白い顔をしていたような気がします。
「僕は病気をして、どうしても一昨年《おととし》も去年の夏も、来ることができなかったんです。今年もやっと、三月頃から起き出して……この夏、もっともっと早く来ようと思ってたんですが家がやかましくてなかなか、出られないもんですから……」
と、私は息急《いきせ》き切って、病気で来ることのできなかった今日までの事情を、まず詫《わ》びました。
「貴方《あなた》がたのお住居《すまい》を調べるために、これから水の尾村へ行って、明日《あす》は村役場へ行ってみるつもりでいたんです。しかし、貴方がたに逢《あ》えば、もうその必要はない。これで安心した……さ、どこにお住居です? 連れてって下さい……今どこに……?」
「わたくしたち、火事に遭いまして……それに父も亡くなりまして……」
「お、お父様が、お亡くなりになったんですか……知らなかった、知らなかった……それで今、どこにいるんです?」
「このずっと先に……みんなで小さな家を建ててくれまして……二人で、そこに住んでおりますの……」
「じゃ、さあ、行きましょう、そんなら何も、水の尾なぞに、行く必要はないんです」
と私は勇み立ちましたが、なぜか二人は浮かぬ顔をしているのです。
「でも、そこはほんの二人だけの……陋《むさ》くるしいところですから……せっかくいらして下さっても、お泊めすることもできませんの。……ですから、せっかくいらして下さいましたけれど……今夜は水の尾へお泊りになって……明朝《みょうあさ》もう一度訪ねていただけません? そうすれば……わたくしたち途中までお迎えに上がりますから……」
あとから思えば、せっかくこれほどまでに意気ごみ切って逢《あ》えたのですから、二人とも、もっともっと喜んでくれてもよさそうなものを……と、多少不本意に思わぬでもありません。二人とも妙に口数が尠《すくな》くて……そして気のせいか、それとも薄暗い木陰のせいか、顔色が青ざめ切って、悄然《しょんぼり》としているように思われます。
が、今聞けば、家が焼けたさえあるに二人の頼りにし切っている父親まで亡くなったというのですから、これでは気の浮こう道理はありません。そして約束を破った私に腹を立ててもいるのでしょうから、沈み切っているのも無理はない……とその時は思ったのです。
ともかく聞いてみたいことは山ほどあります。父親も亡くなったのに、なぜまだ二人は、こんな山の中に住んでるのか? それなのにどうしてこの春は、神保町《じんぼうちょう》でジーナに逢い、スパセニアはわざわざ私の家まで訪ねて来たのか? 水番の六蔵や馬丁《べっとう》の福次郎、農夫たちの姿も見えなかったようだが、みんなまだいるのかどうか? そして今見れば、ペリッもいないようだが、あの犬や馬はどうしたのか? それからそれと聞きたいことは胸一杯わき起っていましたけれど、では何事も明日《あした
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