言葉が口に出てこなくて、この瞬間ほど私は、彼女を抱いてその孤独な魂を慰めてやりたいと、思ったことはありませんでした。が、いくら同情しても、私のような学生の身の上では、どうすることもできぬ、相手の境遇です。いわんや、何度もいうとおり、運命に翻弄《ほんろう》されているとはいえ、決して彼女は現在貧乏な身の上ではありません。
「面白くもない話……おイヤだったでしょう?」
「お気の毒だと、思っています……何といったらいいかと、さっきから僕は考えていたところです」
 運命の打開を図って、今も山へ行っている父親のことでも彼女は、思いうかべているかも知れません。湖の向う側の、林の上に聳《そび》えている赭《あか》ちゃけた禿山《はげやま》に、じいっと彼女は、眼を留めているようです。長い睫毛《まつげ》の先が、濡《ぬ》れたようにそよいで、象牙《ぞうげ》彫りのようにキメのこまかな横顔……キラキラとした、亜麻色の髪……しかも、膝と膝が触れ合って、彼女の身体を流れている温かい血が、脈管へも皮膚へも、息苦しく伝わってきます。夢のように、しいんとした何分かが過ぎ去って、私はハッとして、手を引っ込めました。さっきから、も
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