九年の四月……。
「わたくしが、ベルグラードの中学校《ギムナジューム》へ入った年、スパセニアが十歳《とお》の春でしたわ」
もともとユーゴは日本とは関係の深い国ではありません。日本の事情なぞは、まるっきりわからないのです。姉妹はもちろんのこと、父親とても十四くらいで離れているのですから、まったくのユーゴ人になり切っているのです。いくらかでも日本語を忘れずにいたのが不思議なくらいでした。
「ですから帰りたては、言葉をスッカリ忘れていたとみえて、とんちんかんなことばかりいって、日本人同士、言葉がわからなくて困ってるのが、日本語のわからないわたくしたちにも、随分おかしゅうございましたわ」
とその時のことを思い出したのでしょう、ジーナは声を立てて、ホホホホホホホと笑い出しました。
「わたくしたちが帰って来た時は、もう支那と戦争が始まっていて、大東亜戦争の始まるちょうど、二年半ばかり前でした。長崎に住居を定めて、日本語がわかりませんからわたくしとスパセニアは、ジョレース女学院というのへ入りました。ここは仏蘭西《フランス》の修道院経営の宗教女学校《ミッションスクール》で、スパセニアは小学部へ、わ
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