、二人とも生まれて世の中の不自由というものを、何にも知らずに育ってきたというのです。ただ、どんなに多くの召使に囲繞《いにょう》せられても、母のない身の淋《さび》しさだけが、いわば唯一の淋しさだったということができましょう。
 祖父も言葉を尽して再婚を勧めましたが、父親は違った母を持たせては子供たちが可哀《かわい》そうだと、何としても再び結婚しようとはせず、大恩受けた祖父のために身を粉にして、その事業を助けてきました。その父親が、やっと故国へ帰ろうかという気になったのは、ジーナもスパセニアも大分大きくなった頃……心血を注いだゼニツア銅山が、押しも押されもせぬユーゴ一の大銅山になった安心があったからなのでしょう。
 パパの生まれたお国へ、一遍いってみたいわ、連れていって頂戴《ちょうだい》よう! と、ある晩スパセニアが冗談をいったことから駒《こま》が出て、パパが日本を出てから、もう三十六年にもなるから、生きているか死んでいるかわからぬが、お前たちにも一遍日本のお祖父《じい》さんお祖母《ばあ》さんを逢《あ》わせてやりたいなあということで、急に日本へ帰ることになったのです。帰って来たのは、一九三
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