紳士の首へ手を回して、何か小声で話しています。紳士が可愛《かわい》げに頷《うなず》きながら、私の方を眺めています。
 そして、娘が話し終って傍らを離れていると、
「さ、おはいりなさい!」
 とアーチのところに佇《たたず》んでいる私を、麾《さしまね》きました。初めてテラスに上っていって、私はこの紳士に挨拶《あいさつ》をしたのです。
「道にお迷いになったとか! 娘がお役に立って何よりでした。よろしかったら、どうぞ、ごゆっくり、お休みになって……さ、おかけ下さい」
 立派な日本人ですが、さすがに混血児《あいのこ》の父親だけあって、海外生活でも送った人らしく人を逸《そら》さぬゆったりとした応対でした。この山の中に住みながら、紳士は血色のいい赭《あか》ら顔で、半白の頭髪をキチンと梳《くしけず》って、上衣《うわぎ》は着けていませんが、ネクタイにスエターを纏《まと》っているのです。赤革の靴といい……この人気《ひとけ》のない山の中に、誰が一体、来る人があるのでしょうか? 娘といい父親といい、身嗜《みだしな》みの正しさには、驚かずにはいられません。そこにかけて、問われるままに昨日|雲仙《うんぜん》を出て
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