えているのです。私は狐《きつね》につままれたような気持で、突っ立っていました。藁葺《わらぶ》き屋根の農家でも、あろうことか! この山の中に……近い村まで三里もあるという、この人っ子一人姿を見せぬ淋《さび》しい山の中に、この美しい庭や清々《すがすが》しい家屋とは! 東京の町の中にもこれほどの美しい住居《すまい》は、滅多にありますまい。呆気《あっけ》に奪《と》られて私は、眺めていました。
 娘は門前で馬を降りて、出て来た農夫|体《てい》の五十ぐらいのオヤジに手綱を渡すと、そのまま右手のアーチを潜《くぐ》って、私を導き入れました。よほどの花好きとみえて、芝生の間にも幾つかの花壇があって、紅、白、銅、レモン、黄、ありとあらゆる大輪の薔薇《ばら》が、眼も醒《さ》めんばかりにあざやかな色を見せています。
 このアーチを潜った奥が、初めて広々としたテラスになって、籐椅子《とういす》の三、四脚が取り囲んだ向うに、五十七、八とも思われる洋服のデップリとした紳士が、怪訝《けげん》そうな面持《おももち》でじっとこちらに、眼を留めているのです。と、娘はいきなり高い混凝土《コンクリート》の床に駈け上って行って、
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