り出した。何度もいうとおり、声が掠《かす》れて低く、時々|痰《たん》が絡んでぜいぜいと苦しそうに喘ぐのであったから、聞いているのも容易ではなかったが、面倒臭いからそういう病気の描写は、一切抜きにしよう。
「出かけていったのは、雲仙《うんぜん》です。詳しくいうと、長崎県の南高来《みなみたかき》郡ということになりますが、別段友達がいたわけでもなければ、用事があったわけでもありません。
 雲仙国立公園のパンフレットなぞを見ているうちに、子供の頃から山が好きなものですから、無性とあの辺の山へ登ってみたくなって……ちょうど学校が休み続きなもんですから、一人でブラッと出かけていったのです。……宮部さん、そこに地図がある。ちょっと取って下さい。そう……その次の抽斗《ひきだし》に……」
 と、看護婦の差し出した参謀本部の十万分の一の地図を、私の前にひろげさせた。
「もう今では、その時の記念は全部処分してしまって、何にも残っていませんが……」
 病人にとっては、懐かしい思い出の地図なのであろう、が、使用した後でもしょっちゅう眺《なが》めていたと見えて、紙は皺《しわ》くちゃになって、おまけに手摺《てず》れ
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