悔しております」
 と私は、わざと笑って見せた。
「しかし、もうこうやって伺っているのですから、そんな済んだことなぞはどうでもよろしいじゃありませんか! 私の方でも勘違いしていたことがあり、貴方《あなた》の方にも、御意志の伝わらなかった点があったでしょうが、済んだことはもう、お触れにならないで、それより私にどういう御用がおありになるのか? それを伺って、できることは喜んで、致そうと思っています。御用を、仰しゃってみて下さいませんか」
「そういって下されば……この上もありませんけれど……」
 と病人は、天井に眼を投げながら、咳《せき》こんだ。ともかく病人のいうのには、人に話したら間違いなく、一笑されるであろうけれど、しかし自分だけには絶対に、笑うことも打ち消すこともできぬ、不思議きわまる出来事がある、というのであった。不思議というか恐ろしいというか? 病気になって以来まる二年間、こうして寝ていても一日として、その出来事は頭から離れぬ。
 いいや、離れぬどころか! この半年ほどは、ほとんど四六時中……殊《こと》にこの頃は死期が迫ったとみえて、一時《いっとき》たりとも脳裏を去ったことのない、
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