間合間に耳を澄ませると、表はまだざわめいて、階下《した》でも起きて話しているらしく、まだみんな異常な出来事の昂奮から落ちつきを取り戻していないらしい様子であった。
そしてやっと酒の仕度を整えて来た女中は、真っ青な動悸《どうき》の静まらぬ顔をして、
「とんだお騒がせをしましてん」
と自分が粗相でもしでかしたかのように、謝った。
四
この女中に聞くと、怪我人たちはすぐ側の池田病院とかいうのへ運ばれて行ったが、三人とも全身焼け爛《ただ》れてとうてい命は取り留め得なかろうということであった。
発音の聞きとりにくいこの地方の浜言葉であったから、明瞭にはわからなかったが、すぐ七、八軒先の向い側の小さな時計屋の亭主とお内儀さんと亭主の妹との三人で、夜業《よなべ》をやっていながらふとした粗相で傍に置いてあった揮発《きはつ》の大罐に火が移って、三人とも頭からその爆発を浴びてしまったというのであった。亭主がお内儀さんの火を揉み消そうとせず、お内儀さんが亭主の妹の火を消そうともせずまた妹が兄の火を揉み消そうと苛《あせ》らないで三人とも、それぞれに自分たちの身体についている火さえ消そうと努めたならば、まさかあんな大事にもならなかったであろうが、あんまり夫婦兄弟の情合の深いのもこういう時には善《よ》し悪《あ》しだというふうなことを、まだ震えの止まらぬらしいこの女中は、幾分腹立たしそうに朴訥《ぼくとつ》な言葉で話してくれた。すんでのところ火事になりかかったのをその方だけは隣りの乾物屋の親父とかが揉み消してしまったということであった。
「まあま、お酌もせんどいて、えろう済まんことしてしまいましたけん。冷えて拙《まず》うなりましてん?」
と、女中は気がついて銚子を取り上げたが、別に酒がそんなに飲みたい気もしなかった。
「いいよ、いいよ、自分でするから」
と女中を帰した後で、冷えた盃を持ったままメラメラと燃えしきるストーヴの焔を眺めながら、通り魔のような夜前《やぜん》の出来事を考えていると、
「世の中なんて、何時《いつ》どんな災難が降って湧くかわからないものねえ、やっぱりあたし、東京へなんか行って出世してもらわなくてもいいわ。こっちで一緒に暮しましょうよ。人の命なんて何時どんなことになるかわからないんですもの」
とふだんの勝気にも似ずしみじみ感じたように、しかし幾分甘えた口調で君太郎が言った。が、それでも私が無言でストーヴをみつめて考え込んでいると、ふと気を変えたように、「明日発つ時、その池田病院とかいうのへ、ちょっと玄関だけでも見舞って行きましょうね。そうしておけば、後まで嫌な思いが残らないで済みますから」
と、しんみり言った。
「ああ、そうしよう! そうしよう!」
と、私も賛成した。君太郎に勧められるまでもなくそうでもしなければ、今の私にも到底このままでは、この惨《むご》たらしい記憶に幕が降ろせそうもないのであった。丸髷には結っていても一見誰にでもすぐそれとわかる君太郎なぞを連れてそんなところへ顔出しするのは、いかにも人の不幸のところへ心ない遊蕩児《ゆうとうじ》の気紛《きまぐ》れな仕業《しわざ》と人に取られるかも知れなかったが、思う人には何とでも思わせておいて、明日はぜひそうしておいてからこの留萌の町を去ってしまおうと考えていたのであった。
床へはいってみたり、ストーヴの前へ座を占めてみたり、そして東京へ行くとか行かないとか、ポソポソと二人でしゃべり合ってとうとう私たちは一晩中眠らずじまいであった。
翌る朝この妙な因縁の町を発つ時には、もちろん病院の門口まで私たちは見舞に行った。停車場から二、三町足らずの距離であったが、町の世話役らしい人々が多勢詰めかけて、病院の入り口はごった返していた。そしてそこには私たちの泊った丸源の亭主もいたが、眼敏《めざと》く私たちの姿を見つけると大急ぎで飛出して来た。
「とんだ御迷惑をお掛けしまして……またどうぞお懲《こ》りなく、ぜひお近いうちに」
と、頭を下げた。それにつれてその辺にいた人々も何かは知らず頭を下げた。
「とうとういけませんでした。一人残った妹の方も、つい今し方息を引き取りました」
と亭主は身寄りの者にでも話すかのようにしんみりとそう言った。
わずかばかりではあったが霊前へ供えてくれるように頼んでおいて、逃げるように私たちはまた停車場へ出て来たが、身を切るように寒い朝の町はしいんとしてまだ人っ子一人通ってもいなかった。もちろんまだ札幌へ引揚げようという気持も起らず、さりとてこれからどこへ行こうと決めていたわけでもなかったが、ともかくやっと汽車が動き出して外《ほか》に相客もない二等車の中でガチガチ震えながら、だんだん遠ざかって行く国境の連山の裾《すそ》にこの不思議な思い出
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