の町を眺めていると、やっと私にも昨夜からの気持が納まって人心地が徐々についてくるような気持がしたのであった。
五
……あれからもう十何年かになる。私はやはり君太郎の留めるのを振り切って東京へ出て来たが、もうそれっきり彼女には逢わなかった。この頃人|伝《づ》てに聞けば、彼女は今では札幌見番でも一、二を争う大きな芸妓家の女将《おかみ》になって、最近では裏の方に新築を始めて、料理屋も始めるらしいという噂であったが、私はこの昔|馴染《なじみ》を思い出すごとに、いつでも決まって忘れ得ぬ留萌の不思議な一夜を思い出さずにはいられなかった。
そして、留萌の悲惨な出来事を想い出しさえすればきっと決まって美しかった君太郎の俤《おもかげ》を懐かしく想い出す。今年の夏あたりは、ぜひ札幌へ行って、一度その後の彼女にも逢ってみたいと思っているが、逢うのはいいがまたあの時の話が出るかと思うと、それだけはしみじみ逃げたいような気持がする。
底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
1994(平成6)年7月29日第1刷発行
初出:「新青年」
1937(昭和12)年10月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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