彼の精神もおよそ納得出来るように思う。
 午後四時発のバスだというので、鎮導寺にも立寄り、勝海舟書くところの本堂の柱の和歌というものを見たかつたが、時間がないようなので割愛して、停留所に帰りついた。ところがそれから約一時間つまらない待ちぼうけをくわされ、すつかりくさつてしまつた。
 観光地としての条件は多分にもつていながら、一向土地の人々に観光客誘致の熱意がないのは、どういうわけであろう。島原から天草にかけてを、国立公園にするとかしないとか、いろいろ取沙汰されていながら、なかなかその運びにいたらないのは、このような土地の人々の不熱心の然らしむるところか。だが、そのような詮索は、私にとつては、必しも必要なことではない。ともあれ、私はこの地の人々と直接話はしなかつたけれども、観光客としての満足は充分達せられた。それでいてなお、このようなことをいうのは、町に一本の案内標もなく、観光客をめいわくなとばかり、バスの時間などめちやめちやにあしらわれては、折角の美しい天草のため惜しまれるからである。
 六時半すぎ、本渡帰着
 三月二十五日
 早朝五時半起床。風のすつかり落ちた朝の大矢崎の港は、ほんと
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