がある。頼山陽の泊天草洋の詩碑である。
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雲耶山耶呉耶越 水天髣髴青一髪
万里泊舟天草洋 煙横蓬窓日漸没
瞥見大魚波間跳 太白当船明似月
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折角の詩碑が、かつて幅を利かせた忠魂碑かなんぞのように、厳然とでも形容したい石垣の上に、見上げるばかりの構想のものだが、詩人山陽が若し生きていたら、恐らく苦笑するであろう。私がそのような感想をもらすと、同行の記者も同感の旨をつげるのであつた。古今を問わず、詩人の感覚は、威風あたりを払うといつたような、世俗のものではないはずである。堂々というようなものではなく、風雅なものであるはずである。
今朝来、内海は風ないで、いかにも春の海らしい静けさであつたが、ここから見はるかす天草灘は、怒濤逆まくというほどではなくとも、波のうねりも荒く、内海が雌ならば、外海は雄らしい様相であつた。
千人塚は、町はずれの一角にある。俗に首塚ともいうそうだが、側なる百姓に聞くと、凡そ次のように説明してくれた。今から三百年許り前の島原の乱後、斬首された切支丹の宗徒の首一万ばかりを、長崎の浦上と島原の原城と、ここ富岡の三カ所
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