》して、その最後の「ウーン」といったという断末魔に猿を連想する猟師たちは決して「猿《さる》」と呼ばず「猿公《えんこ》」と呼ぶ迷信があるからかも知れない。
福松の姉は、黒部の平《たいら》の弥曾太郎の女房だ。頼もしかった弟の死を、どんなに諦めようとしても諦らめられぬと愚痴《ぐち》る。劍の小屋の源次郎が当時の話をしてくれる。
その骨肉や、先輩たちの、「山師は山で果てる」言葉通りの死を痛みつつも、やはり山から離れられない所に山人の宿命がある訳だ。
私はここに、登山案内史的な記述をしようとするのではないが、近来の素晴らしい登山の発達というよりも、登山熱が、如何《いか》に彼らの姿を変えたかと考える時に、いささか懐古的な気持にならざるを得ない。いわば第二期に位する者に、現在、芦峅の平蔵があり、大山村の長次郎があり、音沢村の助七があり、中房の善作があり、大町に玉作、林蔵、が生きていて、なお往々、登山者の案内役を務めてはいる。けれども、暫《やが》てその人たちも、劍の平蔵谷に、長次郎谷に、そのモニューメントを残して各々《おのおの》山人らしくこの世を去ってゆくのであろう。登山者は今少数の彼らに依って、
前へ
次へ
全10ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
百瀬 慎太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング