て死んでしまった。喜作は大正十一年の二月、爺ヶ岳裏の棒小屋沢に羚羊《かもしか》猟に行ってた時に、雪崩《なだれ》の下になって、その息子と、愛犬と一緒に死んだ。皆が、山人らしい死に方でこの世を去ったのだ。
芦峅《あしくら》きってのその強力で冬の登山者に取って重宝がられたあの福松も、去年一月の劍のアクシデントで無惨に逝《い》ってしまった。
喜作の最後に就いては、当時猟友として行を共にして奇《く》しくも生命を助かった上高地の庄吉が詳しく物語ってくれる。誰でも上高地を訪ねた人が、もし機会があったなら、彼を訪ねて炉辺に榾火《ほたび》を焚《た》きながらこの物語を聞いて御覧なさい。相応《ふさわ》しい山物語りにホロリとする所があるだろう。その時、半身を雪に圧されて救助隊の来るまでの一昼夜を動かれぬままに観念してすごした苦しさを思い出しながら、沁々《しみじみ》と語る。喜作はかすかに、ウーンと※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]《うな》っただけだった。私は数年前の冬、高瀬の奥で喜作が猿の皮を無雑作に頸《くび》に巻き付けた姿で、獲物《えもの》の羚羊の皮の枠張《わくばり》に余念なかった姿を想出《おもいだ
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