られたるため、幾部分汚されてるが、世に知られないのは穂高の幸か、空海も、播隆(槍ヶ岳の開山和尚)も、都合よく御開帳に出っくわせなかったろう、とこしなえにこのままの姿で置きたいものだ、とかくに浮世の仮飾《かしょく》を蒙《こうむ》ってない無垢《むく》の爾《なんじ》を、自分は絶愛する。
岳名の穂は、秀の仮字にて秀でて高き意なるべしと、また穂高を奥岳ともいう、と『科野《しなの》名所集』に見ゆ、俊秀独歩の秀高岳、まことにこの山にして初めてこの名あり。
五 北穂高岳
午後二時三十分、最愛の絶頂に暇を告げ、北に向いて小一丁も進むと、山勢が甚しく低下して行くので、驚いて岳頂を見ると、はや雲深く※[#「戸の旧字+炯のつくり」、第3水準1−84−68]《とざ》され、西穂高が間々《まま》影を現わすより、蒲田《がまた》谷へ下りかけた事と知れ、折り返して頂上に出《い》で、東北へと尾根伝いに下る。
此処《ここ》から槍までは、主系の連峰を辿《たど》るのだ、即ち信・飛の国界、処々に石を積み重ねた測点、林木の目を遮《さえ》ぎるものはなく、見渡す限り、※[#「石+雷」、265−12]※[#「石+可」、2
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