なもの。
この絶大観に接した刹那《せつな》、自分は覚えず恍惚《こうこつ》として夢裡《むり》の人となった。元来神は、吾人の見る事の出来ぬ渺漠《びょうばく》たるもの、果《は》ては、広大無限、不可思議の宇宙を造り、その間には、日月星辰山川草木と幾多の潤色がしてある。今我が立てる処もまたその撰にもれぬ。人為では、とてもそんな真似は覚束《おぼつか》ない、平生《へいぜい》名利の巷《ちまた》に咆哮《ほうこう》している時は、かかる念慮は起らない、が一朝|塵界《じんかい》を脱して一万尺以上もある天上に来ると、吾人の精神状態は従って変ると見える。これ畢竟《ひっきょう》神の片影なる穂高ちょう、理想的巨人の御陰《おかげ》だろうとしみじみ感ぜられた。
標高千米突内外の筑波《つくば》や箱根では、麓で天候を予想して登っても、大なる失策はなかろう、が三千米突以上の高山となると、山麓で晴天の予想も、頂上へ行くとがらりかわり、折々雲霧に見舞われる、これによると、今回のように度々御幕がかかるのが、かえって嵩高《すうこう》に感ぜられる。万山の奥ともいわるる槍でさえ、夙《はや》くから開け、絶頂始め坊主小屋等は、碑祠を建立せ
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