を目的に下れ、途中に岩穴でもあらば、そこに這入《はい》ろうと、後方鞍部に引き返し、山腹を斜に東に下る。
六 空沢の石窟
道すがら、大きな石を探る二つ三つ、十二、三丁も下ったと思うころ、方三間高さ一間余の大石の下、少々空虚あるを見出す。幸《さいわい》、近くには偃松《はいまつ》、半丁余で水も得られる。かかる好都合の処はないとて、嘉与吉と二人で、その下の小石を取り除けて左右に積み、風防《かぜよ》けとし、居を平に均《なら》す、フ氏と嘉門次は、偃松の枝を採りて火を点《つ》ける、これでどうやら宿れそうだ。やがて、雲霧も次第に薄らぐ、先ず安心、と濡た衣裳を乾かす。
この大谷を、横尾の空沢または大沢「信濃、横尾の空沢、嘉門次」という。空沢とは、水なき故なりと。上方は、兀々《こつこつ》とした大磧、その間を縦に細長く彩色しているのは草原、下方は、偃松、ミヤマハンノキ、タケカンバ等が斑状に茂っている。南穂高から東北に岐《わか》れ、逓下《ていげ》して梓川に終る連峰は、この谷と又四郎谷との境で、屏風《びょうぶ》岩または千人岩(宛字)「信濃、屏風岩、嘉門次」と呼ばれ、何れもよく山容を言い顕《あらわ
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