す》いように思われる。山稜は大抵牛脊のようで、兀々した処が少ないから、気骨が折れぬでさっさ[#「さっさ」に傍点]と行ける。しかし、大槍だけは穂高と同じだ、これが今日の槍を形造った所以《ゆえん》だろう。
 槍も穂高も、最高点から二百米突以下は、ぼつぼつ偃松が生長している。五百米突も下ると、かなり繁っているが、乗鞍や信州駒ヶ岳のように沢山はない。今まで通った主系の山稜について見るに、蒲田谷方面は、のびのび手足を出している、が梓川方面は、枯れ松が多い、後者は常に残雪の多いのと、傾斜峻急なとの御蔭だろう。

    十一 中の岳

 南岳より北の方へ大畝《おおうね》りに畝って行く事半里で、連嶺第二の低地、その先きは盆地で沢山の残雪、雪解けの水も流れている。水を一掬《ひとむす》び勢をつけて、難なく三千三十米突の一峰を踏む、頂には石を重ねた測標が一つある。相変らず雲の海で山勢は見れぬ。南岳と大喰岳《おおばみだけ》(宛字)との間にあたるので中の岳と称えておく。

    十二 大喰岳

 中ノ岳より北に行くこと二十分で、槍ヶ岳第一の子分、峰は二つで、間は一丁余もあろう、標高約三千七十米突、少し嶮《けわ》しくなってきた。槍に登って余裕のある人は、中途高山植物の奇品を採《と》りながらこの峰に登るも面白かろう。大喰岳「信飛界、大喰岳、嘉門次」とは、群獣のこの附近に来て、食物をあさり喰《くら》うので、かくは名づけたのであると。
 右手嶂壁の下には、数丁にわたる残雪、本年は焼岳の火山灰が、東北地方に降下したから、穂槍及び常念山塊の残雪は、例年に比し、甚《はなは》だ少ないとの事だ、よく見ると鼠黒い灰が一面にある。少々先きの嶮崖を下れば、梓川の本流と飛騨|高原《たかはら》川の支流、右俣との水源地で、大きな鞍部、大槍に用のない猟手らは、常に此処を通って、蒲田谷方面に往復するそうである。四、五間向うに、数羽の雛《ひな》とともに戯《たわむ》れている雷鳥、横合《よこあい》から不意に案内者が石を投じて、追躡《ついじょう》したが、命冥加《いのちみょうが》の彼らは、遂にあちこちの岩蔭にまぎれてしまう。此処が槍の直下だろうとて、荷物を委《す》てて行こうとすると、もう一つ小峰があるとの事、で早々|纏《まと》めてまた動き出す。途中、チョウノスケソウ、チングルマ、ツガザクラ、ジムカデ、タカネツメグサ、トウヤクリンド
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