ウ、イワオウギ、ミヤマダイコンソウ、等を見た。
十三 槍ヶ岳絶巓
小峰を越して少し登れば大槍、これから上が最も嶮悪の処と聞いていた。が穂高の嶮とは比べものにならぬ、実に容易なもの、三時四十分、漸く海抜三千百二十米突の天上につく、不幸にもこの絶大の展望は、霧裡に奪い去られてしまった、が僅かに、銀蛇の走る如き高瀬の渓谷と、偃松で織りなされた緑の毛氈を敷ける二の俣赤ノ岳とが、見参に入る、大天井や常念が、ちょこちょこ顔を出すも、己《おの》れの低小を恥じてか、すぐ引っこむ、勿論《もちろん》小結以下。
槍からは大体支脈が四つ、南のは今まで通った処、一番高大、その次は西北鷲羽に通ずる峰、次はこの峰を半里余行って東北、高瀬川の湯俣と水俣との間に鋸歯状をなして突き出している連峰、一等低小のが東に出て赤ノ岳に連《つらな》る峰。これらの同胞に登って、種々調査をしたなら趣味あることだろう。
十四 坊主小屋
四時下山し、殺生《せっしょう》小屋を過ぎ、二十分で坊主小屋、屋上には、開山の播隆上人の碑、それを見越して上は、先きに吾々《われわれ》の踏まえていた大槍、今は頭上をうんと押さえつけて来る、恐ろしいほど荘厳だ。小屋の内に這入《はい》って見ると、薄暗い、片すみに、二升鍋が一個と碗《わん》が五つ六つ、これは上高地温泉で登山者のためとて、備品として置かれたもの、今後この小屋で休泊するものは、大いに便利だろう、何か適法を設け、各処の小屋の修理や食器等の備え付をしたいものだ。此処で残飯を平らげ、鞋の緒をしめ、落合の小屋「信濃、二ノ俣の小屋、嘉門次」「信濃、槍※[#「革+堂」、第3水準1−93−80]《やりどう》(宛字)、類蔵」に向う。
十五 落合ノ小屋
六時半、赤沢ノ小屋を見舞う、此処は昨今の旱天《かんてん》続きで容易に水を得られぬから、宿泊出来ぬそうだ。七時二十分には、目ざす落合ノ小屋、処《ところ》は梓川と二ノ俣川との合流点、小屋というても、小丸太五、六本を組み合せ、小柴を両側にあてた一夜作りのもの、合羽でもないと雨露は凌《しの》げぬ、水や燃料は豊富だが三、四尺も増すと水攻にされる。こっちの山麓から、向側まで二十間とない峡間、殊に樹木は、よく繁っているので、強風は当らぬ。槍・常念・大天井に登臨する向《むき》のためには、至極便利の休泊処。
底本:「山の
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