》している。
この石窟は、穂高の同胞で取り囲まれ、東方はやや低下しているので、丁度少し傾斜した大|摺鉢《すりばち》の中点にあるようだから、風は当らない、その上絶えず焚く焔で、石の天椽は暖まる、南方に大残雪を控えているにもかかわらず、至極《しごく》暖かだ。雨はやみ、風は起らず、鳥も歌わない、虫も鳴かねば、水音も聞えぬ、一行の興《きょう》じ声が絶えると、森《しん》として無声、かくも幽寂《さび》しき処が世にもあろうかと思われた。九時、石造の堅き寝台に横たわった、が昼の労《つか》れで、ついうとうと[#「うとうと」に傍点]と夢路を辿る。
十六日前四時、目をこすりながら屋外に這い出して、東方を見ると、今しも常念は、ほんのりとした茜色の曙光を負いて、独特のピラミッド形を前山の上に突き出し、左《ゆ》ん手《で》で妹子の蝶ヶ岳を擁している、近くは千人岳とて、多くの羅漢が如鬼如鬼《にょきにょき》並んでいるようだ。次《つ》ぎは、昨日通った、南穂高・奥穂高・北穂高と鮮《あざや》かにそれと仰がれる。その北穂高の東北に接し、槍と同形の峰が二百尺ばかりも屹立《つった》っている、小槍とでもいいたい、が穂高の所属だから、剣ヶ峰というておく。忘れていた晴雨計を見ると、約二千六百五十米突、華氏五十六度。
七 東穂高岳
六時、朝食を済《すま》し、右手の磧《かわら》につき、最近の鞍部目的に登る、僅か十町つい目先きのようだ、が険しくて隙取《ひまど》れ、一時間ばかりかかった。昨日で辟易《へきえき》した幔幕《まんまく》、またぞろ行く手を遮《さえぎ》る、幕の内連が御幕の内にいるのは当然だ、と負け惜みをいいつつ、右に折れ、巉岩《ざんがん》にて築き上げた怪峰二、三をすぎ、八時、標高三千十四米突の一峰に攀《よ》じて腰を据《す》える。位置は信飛の界、主峰奥岳の東北に当る、が東穂高岳と命名しよう。
霧が少しくはげて来たので、北方の大渓谷を隔《へだた》って、遥《はる》か向いの三角点が見えて来た。左折して、四十度以上の傾斜地を斜めに、西北にとり、低き山稜に出ると、巉岩や偃松で織りなされた美景が正面にくる。南方数十歩には、天工の鉞《まさかり》で削ったような、極めて堅緻《けんち》の巨岩が、底知れずの深壑《しんがく》から、何百尺だかわからなく、屹立《きつりつ》している。猪や羚羊も恐れて近《ちかづ》かねば、岩燕や雷鳥で
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