平和な觀じ方が出來ない,無意味、無内容の活動[#「無意味、無内容の活動」に白三角傍点]その物を以つて當て填めてあるので、自然に殘酷な思想になる。井上博士の所謂活動の上には、實在なるものを豫想して居るか、または豫想する傾向があるので、勢ひ例の僞善的にならうとする。その極度は、現象を現象だと別けて見て、それを卑しむ樣になつて、プロチノスのやつた通り、わが身でわが身を忌み嫌ふ樣な僞善的、愚昧的なことになるまいものでもない。大乘佛教などが、その一角から崩れて來て、死物同前になつたのはそれである。僕の所謂活動は、實在が現象となり、現象が實在となる、乃ち、物心轉換の機を活かす表象のうちに含まれて居るのである[#「僕の所謂活動は」〜「居るのである」に傍点]。だから、矢張り無目的で、殘酷なものである[#「だから」〜「殘酷なものである」に白丸傍点]。
僕は先きにこの表象は運命の杖であると云つた。それがまたアロンの杖[#「アロンの杖」に傍点]に似て居る。『パロとその臣下の前に投げうちしに、蛇となりぬ』とあつて、エジプトの博士と法術士等もおの/\その杖を蛇と爲し得たが、アロンの杖はすべて之を呑んでしまつた
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