[#「無邪氣な小供ばかりではない」に傍点]、僕等はすべて解脱が出來ないのである[#「僕等はすべて解脱が出來ないのである」に白三角傍点]。
 ああ、表象の直觀ばかりが悲痛のうちに機々相傳へて、刹那的存在である僕等の生命をつないで呉れるのである[#「ああ」〜「呉れるのである」に白丸傍点]。

 (十六) 運命の杖――悲痛の靈

 シヨーペンハウエルは意志の一時的斷滅を以つて藝術の極致とした。渠の所謂意志は世界と同一であつて、他に求めるものがないから、常に飢渇的で、その自體を食《は》んで生活して居る――之を斷滅するのは、取りも直さず世界を斷滅することである。出來ることなら、これより好都合なことはない。ニーチエはこの思想を歴史上に布衍して云つた、弱者を奴隷にして、強者が之に權力を振ふのは、文明の要素であつて、眞の文明は實に殘忍酷烈のものであると――そのつひに、偉人天才の大なるものは、悲莊の情態に住して、而もなほ身づから喜悦して居る[#「偉人天才の」〜「喜悦して居る」に傍点]と云ふに至つたのは、エメルソンの方便的樂觀と、性質は違つて居ようが、行き方は一つである。
 僕も、自分の現象即實在論には、
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