。この杖がまたエジプト全國の河水を血と變ぜしめたのは、悲痛の餘勢とも見て善い。僕の所謂表象は、シヨーペンハウエルの云つた飢渇的[#「飢渇的」に白三角傍点]で、頼るべきところもない、縋るところもない、さればとて一刹那の顯現で、――暗中を探つて救ひを呼べば、響き來たるものは自己の聲ばかり。止むを得ず、表象がその表象を食《は》んで、そのまた表象を苦産するのである[#「止むを得ず」〜「苦産するのである」に白丸傍点]。僕等はその苦産の兒であつて、またこの苦産を重ねなければ、活動といふ生命が承知をしない。僕等は精神上で社會の人と喰ひ合ふばかりではない、自分で自分の身を刹那毎に喰つて居るのである。これが内部から來る必然だから、無論、精神の安んずるところはない――僕等は實に悲痛の靈[#「悲痛の靈」に白三角傍点]である。
悲觀は到底僕等の免れ得られるものではない。如何に流轉はして居ても、これは生命と一緒につき纒つて居るのである。悲觀を脱したと思へば、また悲觀が來る,いツそ之を喰つて、之に堪へ、之を生命とするなら、表象はそこに活動の餘勢を振つて、自我の覺醒を來たすので――この覺醒の間が、文藝の慰藉[#「
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