文藝の慰藉」に傍点]に堪へ得られるのである。然し、かのグリーン一派の自我實現説の樣に、一方に世界の實在として永久的自覺的の意識を立てゝ置く位なら、自我を實現するものがはじめからその中にあらう筈はない,若しあると云へば、大我小我の兩極端を假定する、例の僞善家の一類に過ぎない。かういふ人々には、僕が云はうとする眞の文藝的興味は分らないのである。

 (十七) 戀  愛

 以上述べ來たつたことを短言すると、僕のは自然即心靈説であつて、神と世界とを區別視しない、活動その物の外に求むべきものはなくツて、僕等はその内部的必然によつて表象を生命として居る。且、その生命は刹那刹那の起滅である。それで、僕等が平生の生活上、親しく經驗をして、この立脚地の最も切實に現はれて居ると思ふのは、戀愛[#「戀愛」に白三角傍点]である。この問題には、世間では必らず神聖不神聖の論が伴なつて來るが、既に心靈と自然との區別がなく、善と惡との並立がないのを承知したものには、肉慾ばかりに神聖不神聖を論ずる餘地を存して置く必要はない。靈愛なるものを假定して、それが神聖だと云へるなら、その一方に假定した肉愛も同じだと云へるわけで
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