間に意志もあり、自我もあるのだから、表象その物を離れては宇宙は全滅するのである。
僕のは、物質的並に精神的の現象が互ひに相轉換する表象として存在するといふのである[#「僕のは」〜「いふのである」に傍点]から、現象唯一論と同一視されては困るが,また、それと反對の方面で、シヨーペンハウエルは、井上博士の客觀主觀の立論と同じ缺陷を生じ、意志の眞實體なるものを定め、その物は時空と現象以外に存ずるので、多なることを得ないと云つた。これが早や無駄でなければ、この種の傾向がある論者の止むを得ない窮策だが,かう云ふことになると、その眞實體なるものが現象界に權化するには、種々の段階があつて、下は木や石から上は人類の樣なもので、高等なものが段々下等なものを制服するに從つて、完美な理想が現はれて來ると云はなければならなくならう。これは矢張りプラトーンのイデヤ想起説から來たので、スヰデンボルグ、エメルソン、その他すべての理想論者が、僕等を誤まる[#「これは矢張り」〜「僕等を誤まる」に傍点]僞善的論法[#「僞善的論法」に白三角傍点]と云はなければならない[#「と云はなければならない」に傍点]。近頃、渠等の口吻
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