るのだ。
(十二) 意志と現象
自我の發揮して來るのは、生きたいと云ふ本能の然らしめるところであつて、本能の内部的必然力を運命と云つても善いし、また意志と見ても善い。
僕の云ふ運命を、活動の方面から見ると、意志である[#「僕の云ふ運命を、活動の方面から見ると、意志である」に白三角傍点]。これは、その發音に於いて同じの、而も、實物は頑強に見えるが、表象的には透明なことがかの捕へやうのない夢と等しい鑛物に異なつて居ないのである。スピノーザは、空中を飛ぶ石にして、若し意識があつたら、必らず自己の意志を以つて飛揚して居ることが分るだらうと云つた,シヨーペンハウエルは之を云ひ換へて、石を投げるのは動機であつて、その重力、個體性等は意志だと説いたが、更らに重力の本性を以つて物體固有の嫌忌や慾望の念とする、オイラーの語に注意してある。いづれも僕の云ふ表象の轉換を證明して居る譯で――意志の活動を辿つて行くと、僕等は野中の一つ岩を抱いても、心靈の熱を取ることが出來るのである[#「意志の活動を」〜「出來るのである」に傍点]。岩から見れば、僕等もそれ/″\岩に見えるのだらう――萬物はこの轉換の感じ
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