で、高い絶壁の上に、さかさまなりにくねつて出て居る松の枝があつたので、それを渡つて、今や身は幾仭の空中に氣魂を奪はれようとしたとたんに、幽かに僕の心耳に響く聲があつた。眼を開いて谷底をうかがふと、それは細い流れの潺々《せんせん》[#入力者注(5)]たる響きであつた。何だか、自分は夢を見て居た樣な氣がしたが、その谷川へ眞直ぐにいばら、茅の根などを辿つて下りて行つて、清い水を一口飮んだ時は嬉しいやら、悲しいやら、兎に角一生の渇を癒した氣持ちがした。この時から、僕は生命を重んずる心が起つたのである[#「この時から、僕は生命を重んずる心が起つたのである」に傍点]。どうせ死んでも、何かに生れ變るのであるから、自分の心に神はなくなつても、戀は遂げられなくつても、現世に苦痛があるなら、來世にもあるに相違ない[#「現世に苦痛があるなら、來世にもあるに相違ない」に白丸傍点]から、寧ろ今の僕に執着して、活動しようと思ひ返してしまつたのである。
神にも苦痛があるとは、たしかカライルが喝破したのである。苦とは何かと問ふのは、既に道學者の口吻か、宗教家の方便かを眞似て居るので、すべて僞善者の態度と云つて善い[
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