六七八の數も、百千萬の數も、共に圓滿である通り、一切の現象は、之と同じ關係で、皆圓滿である――大海とその一滴とは、共に完備して居る全體であるから、それで結合しても亦全體となることが出來る[#「大海とその一滴とは」〜「出來る」に傍点]。――エメルソンが『一滴の水は海の具性はあるが、暴風を現はすことが出來ない』と云つたのは、差別の方面を見た時である。
 これは、マクロコズム、大宇宙とマイクロコズム、小宇宙、即ち大我と小我の説と同じであつて、この圓滿な全體と圓滿な部分とが相融合して居るところを眞如といふ。之を鏡に例へて見ると、華嚴は表面から見て、萬法は一心から起ると説き,天台は裏面から見て、一念にも三千の法があるといふ。井上博士が、その著『認識と實在との關係』に於て、『若し一たび是等一切の關係は、絶對的に之れあるにあらず、即ち皆もと否定すべきものなることを看破せば、唯一の觀念を惹起し來らん』と云はれたところを、そこだけで見れば、華嚴の樣に一如に偏して居る我執だと天台派は云ふだらうし,華嚴派から云へば、また、天台は諸法の實相を稱へて、煩惱即菩提と説くので、その眞如なるものは純全でないのだらう。
前へ 次へ
全161ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岩野 泡鳴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング