て來ると、世界の歴史までが何だか重箱の中へ這入つてしまう樣に見えるではないか[#「表象主義もかう極端に」〜「見えるではないか」に白丸傍点]。
エメルソンが『最も抽象的眞理は最も實際的なものだ』と云つた通り、スヰデンボルグがかう神秘的に又抽象的になつてからは、却つてその教へは單純で、卑近なものになつてしまつた[#「スヰデンボルグが」〜「卑近なものになつてしまつた」に傍点]。物質と心靈とを別けるにも、善惡より外はなくなつてしまつた。惡事を罪として避けるものは心靈的になる、然らざるものは肉的である――信仰、眞理、貞節、眞率等は前者に屬し、殺人、姦淫、偸盜、僞證、色慾等は後者のものである。後者を去つて、前者に附くには、理性と自由意志[#「理性と自由意志」に傍点]とを以つて、非常に奮鬪しなければならない。然し、理性は思想を導くばかりだが、意志は理性を導くことが出來る。その意志が向上しなければ、根本的に心靈と合一することは出來ない。かう云ふのが『生命の教義』に云つてあるところだが、宗教的に考へたら、これ以上のことは別に云へないだらう。耶蘇は『女を見て色情を起したるものは、その心既に姦淫したるなり
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