』と云つたが、スヰデンボルグはこの意から推して、最も極端に、又最も嚴密に、善惡の區畫をつけたのである。僕が跡で云はうとする説によれば、然し、女を見て色情を起したからつて、何の罪でもないことになるので、渠とは丸で反對である。
 要するに、スヰデンボルグは、プラトーンの樣に寛衣を着た學者ではない[#「要するに」〜「學者ではない」に傍点]、赤裸々の實際家であつただけに、神秘家として見れば大變威嚴のあつた人である[#「赤裸々の」〜「人である」に白丸傍点]。――先生と呼んで近寄ることは出來ないが、遠くから之を望んで崇敬すべき勢ひがある。それで、その輪廻説[#「その輪廻説」に白三角傍点]でも、昔は希臘の神話にも見え、プラトーンの想起説にも附隨して居るが、すべて客觀的であつたのが――尤も佛教では、消極的ながらも主觀的になつて居る――スヰデンボルグに至つて、意志に依つて如何ともなる積極的の主觀的となつた。人があつて、千年目にその靴を食ひ、その祖母と結婚したとすると、必らずまた千年目には、靴を食ひ、祖母と結婚するものがあるに違ひない[#「人があつて」〜「あるに違ひない」に傍点]――否、人は各自の家と國と
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