たのである。この事件があつてから、十九世紀の二大思索家が、大西洋を挾んで、プラトニツクラブに沈んだのはなか/\面白い事ではないか。
 エメルソンが超絶哲學を唱道して、同志と共に雜誌『日時計』を發行したり、また諸方を遊歴して、自分の哲學を講演したりした時代のことを思ふと、丁度、ロセチ等のピーアールビー[#底本では「ヒーアールビー」と誤記。入力者注(7)]の運動の樣であつた。ロセチは畫家と詩人との間を彷徨した人で、エメルソンは詩人と哲學者との間に隱見した人だ[#「ロセチは」〜「隱見した人だ」に傍点]。前者は、古典派の文藝があまり形式に流れて來たので、その目的が眞率でなくなつたのを憤慨して、奔放派の特色を發揮したのだが,後者は、また、科學萬能主義の傾向が哲學界にも這入つて來たので、その研究の方法が非常に眞生命に遠ざかつて行くのを遺憾に思つて、超絶哲學なるものを叫び初めたのである。哲學と云ふ以上は、矢張り知力を以つて從事する探究家の態度ではあるが、そのうちからメーテルリンクの樣な詩人が、文藝上の神秘的思想を拔き取つただけの内容があるのは、僕が今までに云つたことで分るだらうと思ふ。エメルソンは長
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