てたのに感服したが、如何にもその獨斷であつて、その學説の不完全、非自證的な點が分るに至つて、モンテーンの樣な懷疑家に走つた。
 人間は、分らなくなると、萬事が不可解となる、否、解かうとすることがもう疑はしくなるものである。萬事を疑ふなら、いツそモンテーンの樣に、思ひ切つて疑ふが善い[#「萬事を疑ふなら」〜「疑ふが善い」に傍点]。――渠は最も正直な作者であると、エメルソンは云つてある。然し、同情がなくては人生の神秘は分りツこがない、手中の一世界は叢中の二世界よりも價値がある。前に引用してある通り、どうせ、地獄の下にはまた地獄がある,どんな學説でも、また倒れる時があるに定つて居るが、すべては久遠圓滿の大原因中に含まれて居るのだ――『たとへわが舟は沈んでも、それはまた別な海へ行くのである[#「たとへわが舟は沈んでも、それはまた別な海へ行くのである」に傍点]。』と悟つてから、またシエキスピヤやゲーテの樣な文藝的慰籍者に走つた。
 それから、また、『人は皆神秘家である』と云つて、スヰデンボルグに走り,また、ナポレオンを罵倒しながらも、その大膽であるのとその明確な頭腦とを揚言して、『何でも想像に訴
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